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あいち熊木クリニック院長熊木徹夫の精神科無双夢想 ~<あいち熊木クリニック>開設、その後~
院長である精神科医の熊木徹夫と、建築家の筧清澄が、 臨床と建築に対するそれぞれのこだわりを、余すところなく出し尽くす場としてのブログです。


プロフィール

熊木&筧

  • Author:熊木&筧
  • 熊木 徹夫

    2007.07「あいち熊木クリニック」開設


    筧 清澄
    1968 06 10
    1998 筧建築設計開設

    筧建築設計
    名古屋市中村区下米野町3-29
    k-kakehi@za2.so-net.ne.jp
    TEL/FAX 052-451-9976



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『重大な病気かも・・すべてが終わってしまう!』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介



Q:私は31歳の男性で、結婚しており子供もいます。

体の不調(病気や死)について、常に不安がつきまといます。

どうしたらいいか分からなくて、相談いたしました。


私は、四人兄弟(男2女2)の末っ子でした。

両親ともにいて、父には職もあり、生活は普通のレベルだったと思います。

私の幼少時に、父の事業が波に乗り、
すごくいい時期があったらしいですが、あまり記憶にありません。


しかし、小学校低学年から高学年の頃に事業がうまくいかず、
ずいぶん借金を抱えたらしいです。

生活に余裕がないんだなと、子供なりに感じていました。


小学校低学年の時に曾祖母が、中学生の時に父親が亡くなりました。
(父は過労死だと思われます)

このときに漠然とショックがあり、生死に関する恐怖感ができたのかなと思います。

その後私は大学まで進み、教職につきましたが、
五年ほどして退職し、現在は飲食店を営んでおります。


もう一つ思い出すのは、大学生時代の祖母の死亡したことです。

このときは成人でしたので、かなりショックが大きかったことを覚えています。

この祖母は、私をすごくかわいがってくれました。

このあたりから、自分もいつかは死ぬんだなと考えるようになり、
精神的にとても不安になりました。


またこの頃から、体に不調を感じることが多くなりました。

具体的には、以下のようなものです。


1:お腹が痛くなり下痢になる

2:目の周りが痛く、焦点が合わない

3:陰部がただれ、かゆい

4:睡眠不足や浅い眠り

5:記憶力が低下する

6:面白さや、やる気、風景や感覚が鈍い感じ


そして体の調子が悪くなると、重大な病気だと勝手に思い込むようになりました。

ひとたび不安が爆発すると、
体が絶対悪いんだ、重大な病気なんだと思って、
その考えから抜け出せなくなってしまいます。

たとえば喉が痛いとすると、
これは重大な病気で、もうだめじゃないかと勝手に思ってしまい、
不安で不安でたまらなくなる、といった具合です。

重大な病気だと痛いし怖いし不安だ、それに全部が終わってしまう、
といった考えがどうしても頭から離れません。


しかし内科に行っても、毎回、特に体に異常はないといわれます。

そのように告げられると、ホッして一時的に症状はよくなりますが、
しばらくすると、やはりまだ気になって仕方なくなります。

そして次第に、なんとなくこれは
心の問題が大きいのではと感じるようになりました。


今やっと、このような認識にたどりつくようになりましたが、
10年ほど前までは、心理的な問題などではなく、
本当に体が悪いんだと思い込んでいました。

とはいえいまだに、心と体のコントロ-ルがうまくいかず、困っています。

いや、心が先か体が先かさえ、よく分かりません。

時に応じて、出る症状の種類・程度も違うみたいです。

普通の人でも、心理的には不安になると思いますが、
私の場合、その程度がひどいし、問題がかなりあるのではと思います。

それなら、近所の精神科や心療内科に行けばいいのですが、
やはり敷居が高い感じがして、これまで行けていません。


いったいどうすればいいでしょう。

アドバイス、よろしくお願いします。


----------------------------------------------------------------------- 

A:(1;ときとして、自覚症状はつくられる)


まず、あなたの自覚症状から、洗い出してみることにしますね。

各々の症状から、さまざまな疾患を類推することは可能です。


1:お腹が痛くなり下痢になる

これが緊張する状況に伴うものであり、
下痢と下痢の間に、便秘が起きやすいということであれば、
「過敏性腸症候群」という病名をつけることが可能です。


2:目の周りが痛く、焦点が合わない

痛みの種類が定かではありませんが、
もし頭全体が締め付けられるように痛い、それに伴ってこめかみも重く痛い、
というのであれば、これは「筋緊張性頭痛」といえますし、
焦点があわないというのは、「眼の調節障害」で、
これは、「筋緊張性頭痛」に付随しやすいものです。


3:陰部がただれ、かゆい

これは、にわかにはわかりませんが、
「アトピー性皮膚炎」などである症状です。
本当にただれているというのであれば、
「アトピー性皮膚炎」としては掻きむしった後のひどい症状としては分かりますが、
別のものかもしれません。
しかしそれならば、外科や皮膚科で問題になると思うのですが・・


4:睡眠不足や浅い眠り

5:記憶力が低下する

6:面白さや、やる気、風景や感覚が鈍い感じ

「うつ状態」が疑われる症状です。
程度によっては、抗うつ薬など薬物が必要です。
これが問題にならないのは、症状が軽いからか、
これまで受診した医師に精神科医がいないからか・・

自覚症状は、どのような診療科においても大変重要なのですが、
一点注意する必要があります。

それは”ときとして、自覚症状はつくられる”ということです。

それはこういうことです。

何らかの体の不調を感知し、たとえば家庭医学百科のようなものを見る。

よく読んでみるとこの「○○病」というのが当てはまりそうだ。

「○○病」には、他にあれこれ症状があるみたいだ。

そういえば、先月このようなことがあった気がする。

そうだきっとこれに違いない、どうしよう・・

暗示にかかりやすく、潜在的に不安を宿している人なら、
このようなプロセスは思い当たることがあると思います。

翻って、あなたの場合ですが、いかがでしょう。

ある程度、整合的に病気の説明ができそうな自覚症状が並んでいますが、
これが後から加工されたものではなく、はじめからあったものかどうか。

(この判断は、だれにとってもなかなか難しいものですが)



(2;”医学生神経症”とは、どんなもの?)


ところで今回のご相談を受け、私はあるエピソードを想起しました。

あなたは、”医学生神経症”なるものをご存知ですか。

世間では、あまり耳にしない言葉ではないでしょうか。

これは、医療の手習いを始めた医学生が
かかりやすい”病気”の一種(もちろん俗語)です。


医学生は、医学の習い始めに人体解剖を行います。

これは、一種の医学の”洗礼”のようなものであり、
精神科医を志していた私でさえ、
横たわるご遺体という”現実の死(屍)”を前にして、
粛然として襟を正さずにはおれませんでした。

そして、そのご遺体にメスを入れる。

もう後戻りはできない、そのような覚悟が問われる瞬間でした。

このような過程で、貧血をおこして倒れる学生もいますし、
嘔吐する学生もいました。

(私の同期生にはいなかったですが、
ここで自分が医学に適性がないと悟り、
大学を退学していうことも、まれではないようです)


この医学の”洗礼”は、医学生に、ひいては医師に、
独特の心性をもたらします。

医学は死(屍)を礎としてなる学問であること、
すなわち、死(屍)を想定しないところには医学が成り立たないということ、
が当たり前に思えてきます。

例えば、正常な身体のあり方をまず学び(解剖学・組織学・生理学・生化学など)、
そこから歪み、死に傾斜した状態について学ぶ(病理学)という方法が
基礎医学を学ぶ一般的な道筋なのです。

そして、臨床医学では実にさまざまな病気が存在しうることを確認し
(診断学。これは、一種”博物学的”なものです)、
それに立ち向かう方法(治療学)を考える。


しかし、まずは診断学。

そう、西洋医学では、治療学より診断学が圧倒的に重要だと考えられています。

(難病ばかり扱う診療科では、治療学はペシミスティックな見方で被われてしまって、
精緻に構築されつくした診断学だけしか
実質的には機能していないという状況があります)

治療学というのは、希望に通ずる一条の光なのですが、
ここに至るまでの病理学・診断学という道程は、まさに”暗夜行路”です。

その病気が治るか治らぬかについてはまず保留して、
病気の分類・鑑別診断を営々と行いつづけることを余儀なくされるのです。


さてここで、医学生の話に戻りますが、
病理学から診断学を学び、この世に存在するあまたの病気を見せつけられると、
医学生のうちに奇妙なことが起こります。

今教えられた病気が、みな自分の体に当てはまるように思えてくるか、
逆にちょとやそっとの病気に触れても驚かなくなるか。

前者は病気に対し過剰に敏感な状態、
後者は病気に対し過剰に鈍感な状態といえるかもしれません。

両者はまるで逆の反応ですが、いずれにせよ、
従来から持ち合わせていた病気に対する感性では対応がおぼつかず、
これまでと別のかたちの適応をおこなったものと考えられます。

このように医学を学ぶということ、病気を知りすぎるということは、
なかなかに”ショッキング”な体験であるわけです。

先述の”医学生神経症”とは、
”今教えられた病気が、みな自分の体に当てはまるように思えてくる”
状態を指して、いっているのです。

(この表現に、ブラックユーモアが込められているのは分りますか。

他人の体を、知識としてはよく知るはずの医学生や医師(特に専門外の場合)が、
こと自分の体のことになると冷静さを欠いて、
依然無知のまま、ただおののいているこの姿を、
自嘲的に表した”病名”なのですから)


(3;「卵が先か、にわとりが先か」)


ただ、その病気を”本当に知る”(すなわち、真のプロになる)ようになれば、
このような迷いはなくなります。

(ただし、シリアスな現実に直面しなければならない、という
別の過酷さを引き受けねばならなくなりますが)

”なまじ知る”というのが、不安のおおもとになるのです。

(医療のプロではなく、プロの卵である”医学生”に
とりわけこのような”神経症”の症状が出やすいという現実も、
それを証明しているといえます)


ここからは、あなたの話です。

あなたは、大切なお婆さんの死などが引き金になって、
来るべき自らの死に対し、とても過敏になられたということです。

そして、死に対する不安・恐怖から、
体の不調に対しての感度が上昇した、とあります。

すなわち、<身近な人の死>→<死に対する不安・恐怖>→<体の不調に対する感度上昇>
の順に、問題が発生してきたらしい。


しかし、本当にそうでしょうか。

ある時、ふと感じた体の不調。

それがどんどん、気になって気になって仕方がなくなる。

なぜ、自分はこのような思いに捉われ、
日常生活で一歩も外へ出られなくなってしまったのか。

そういえば、どんなささいな症状からでも、
必ずたどりつく感情の行き着く先があった。

それは、自らが死ぬということへの恐怖。

これについて考え出すと、気が違いそうになる。

でも、もとはといえば・・曾祖母が父が、そして祖母が死んだことが引っかかっていたから・・
そうだ、きっとそうだ!

この順番は先ほどとは逆で、
<体の不調に対する感度上昇>→<死に対する不安・恐怖>→<身近な人の死>
ということになります。


このように指摘されると「卵が先か、にわとりが先か」分らなくなってしまうことでしょう。

あなたは、<心が先か体が先かさえ、よく分かりません>とおっしゃっています。

これは表現は違うけれど、同じ状況を指していると思われます。



(4;エンドレスゲームに陥る危険)


あなたは、精神医学的には「心気症」あるいは「心気神経症」とよばれるもので、
近頃はやりの表現では、「身体表現性障害」あたりが該当するでしょう。

自らの体の不調に対して、とても感度が高くなっていて、
何かちょっとしたことから
”これはガンや脳梗塞の予兆ではないか、死んでしまうのではないか”と考えだし、
それが止まらなくなるような状態を指していいます。

実はこれは珍しくありません。

身体科(精神科ではありません!)の受診者のうち、3~4割ほどは心気神経症者だとする
身体科医のアンケート結果があるぐらいなのです。

(心気症者は行く先々で、検査後「大丈夫、気のせいではないか」などといわれ、
いったん安心するものの、その結果を訝り、
また別の病院で検査を受けるということを繰り返す傾向があります。

すなわち、”のべ受診回数”が多くカウントされるのです。

それゆえ、心気症者の実数より、多く存在するようにみえてしまう側面もあり、
このあたりを差し引いて考える必要はありますが)


あなたの場合がそうであるように、
心気症者には、なかなか”安楽の日”は訪れません。

<たとえば喉が痛いとすると、
これは重大な病気で、もうだめじゃないかと勝手に思ってしまい、
不安で不安でたまらなくなる、といった具合です。

重大な病気だと痛いし怖いし不安だ、それに全部が終わってしまう、
といった考えがどうしても頭から離れません。

しかし内科に行っても、毎回、特に体に異常はないといわれます。

そのように告げられると、ホッして一時的に症状はよくなりますが、
しばらくすると、やはりまだ気になって仕方なくなります>

こうなると、エンドレスゲームになってしまいます。


あなたの救いは、自らの受診行動の特性を”鳥の目”で見る
(少しひいて客観的にみる)ことができるに至り、
”心の問題が大きいのでは”と感じるようになれたことです。

このような洞察を自らで獲得するのはなかなか大変なことなので、
”大きく前進した”と自信をもたれていいでしょう。


<時に応じて、出る症状の種類・程度も違うみたいです>

そう、体にキチンとした基盤をもつ病気であれば、
このような症状の推移は、少し奇妙です。

さあ、そのような状況に気づいたのは良しとして、
<精神科や心療内科へ行けばいい>かどうか。

いくばくかの向精神薬を処方されて楽になることもあるのですが、
あまり楽にならぬ場合もあります。

どこかの精神科医がもっと楽にしてくれるはずという信念を抱くと、
うまくゆかぬ場合にまたドクターショッピングが始まり、
”いつか来た道”へ逆戻りということになってしまいます。



(5;体の不調について、本当に徹底的に考え抜くと・・)


では、いったいどうすればいいでしょう。

ひとつふたつ、提案いたしましょう。


人はいずれ死ぬ存在だというのは、誰にとっても不可避な事実です。

日々その死に向かい傾斜していくという事態も、
赤ん坊でさえ免れうるものではありません。

ゆえに、人間の体が何らかの不調を抱えるのは仕方のないことです。

このような生老病死に対する怖れがあるのは、誰にとっても当たり前のことです。


あなたは、自分はその程度がひどい、とおっしゃる。

その通りでしょう。

その”弱さ”の克服ではなくて、”弱さ”の自覚をしておくことができるなら、
あなたはかなりの問題をクリアできるでしょう。


さらに踏み込むとしたら、
体の不調をいつもいつも考えているというあなた、
本当に”いつも”考えていますか。

案外そんなことはないものです。

もし、”いや、やっぱりいつも考えている”というなら、
本当に意識的にそのように実践してみるといいです。

24時間、体のある部分の不調に神経を集中しつづける。

これはなかなかできることではありません。

体の不調について徹底的に考えるなら、やがて疲れ果てるでしょう・・
そうしたら、もっと別のことがしたくなる。

それなら別のことをしましょう。

それでいいのです。

体へのこだわりが煮詰まったら、この”治療法”を思い出してみてください。

ここからほどける何かがあるはずです。




熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
臨床感覚の広場のサイト:http://www.dr-kumaki.com/
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