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あいち熊木クリニック院長熊木徹夫の精神科無双夢想 ~<あいち熊木クリニック>開設、その後~
院長である精神科医の熊木徹夫と、建築家の筧清澄が、 臨床と建築に対するそれぞれのこだわりを、余すところなく出し尽くす場としてのブログです。


プロフィール

熊木&筧

  • Author:熊木&筧
  • 熊木 徹夫

    2007.07「あいち熊木クリニック」開設


    筧 清澄
    1968 06 10
    1998 筧建築設計開設

    筧建築設計
    名古屋市中村区下米野町3-29
    k-kakehi@za2.so-net.ne.jp
    TEL/FAX 052-451-9976



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『生きているのか死んでいるのか、わからない』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

▼△▼----------------------------------------------------------------

『生きているのか死んでいるのか、わからない』

            ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(18)~

--------------- http://www.dr-kumaki.com ---------------------△▼△


Q:熊木先生、初めまして。

私は43歳の主婦です。

5年前に、理由もないのに涙が止まらなくなって、
総合病院の精神神経科を受診すると、抑うつ状態といわれました。

身体の検査もしましたが特に異常がなく、
アモキサン・デパスなどを処方されました。

そのころ、マスコミで軽度のうつ病のことがよくとりあげられて、
「心の風邪」とも言われていました。

当初私は、それらのTV放送や健康に関する雑誌などを読み、
薬をのんで休んでいれば、やがて風邪のように治るもの、と安心しました。

しかし、そうは簡単にはいかなかったのです。


まず私のこれまでの経歴についてお伝えします。

私は、地方の小さな都市で生まれました。

三人姉妹の長女で、両親は共働きでした。

何らかの理由で家には借金があったらしく、父も母も必死に働いていました。

両親の苦労はすごいもので、
また家族の誰かがいつも病気や事故に遭ったりして、入院などしていました。

母は私にいつも自分の辛い思いを話していました。

私は聞き役でした。

そのため、お金がないということがとても怖い大変なことなのだ、と
小さい頃から思っていました。

保育所に預けられていた私は、よく泣いていました。

小学校のころ、集団登校の途中に胸が苦しくなって座り込んでしまう、
ということが何度もありました。

病院で検査しましたが、原因はわかりませんでした。

高校進学直後、私はあまりいい成績ではありませんでした。

数学や理科が苦手で、だんだん授業がわからなくなりました。

そのため、2年生のとき睡眠時間を4時間くらいにして
自分で勉強し始めました。

精神的に緊張状態で、夜1時に寝ても、朝は5時に目がさめ、
それから7時くらいまで勉強して、登校するという期間もありました。

その結果成績は上がり、結局都会の私立大学へ進学しました。

そのころには家の経済状態もよくなり、
両親は私学へ行くことも許してくれました。

大学生活は初めての自炊・下宿生活で、何か開放されたような気分でした。

両親の希望は大学を卒業したら家に帰って就職する、というものでしたが、
私は家には帰らず、そのまま小さな会社に就職しました。

そしてわりと早く結婚しました。

会社を変わったりしましたが、ずっと働くつもりでした。

けれども事情があって、出産を期に会社をやめることにしました。

子どもが2人生まれてからはしばらく専業主婦の生活でしたが、
何か自分らしいことをしたいと思って、英語の勉強をはじめました。

やがてパートタイムで働くようになり、お金も少し余裕ができたので、
語学学校などに行くようになりました。

子育て・仕事・趣味の勉強と充実した毎日でした。

パートの仕事は工業部品の製作で、手先の器用さが要求される仕事でしたが、
私はわりと丁寧にするほうなので、上手だったと思います。

ですから、リストラとはいえ、突然解雇されたときは驚きました。

収入がなくなって、いろいろアルバイトなど探してやってみましたが、
続けられそうなものはありませんでした。

語学学校の友人が「英語にかかわる仕事を探してみたら」と勧めてくれました。

英語の世界は競争が激しく、
特に実務経験もない私には、仕事がまわってきそうにありませんでしたが、
トライアルなどを受けていると、
翻訳の下請けの下請けみたいな仕事が時々入るようになりました。

報酬は10日間で仕上げて1万円とかそんなものでしたが、
将来につながるかもしれないと思って引き受けていました。

しかし今から考えると、その当時の私の生活はモーレツなものでした。

非常に短い納期によるプレッシャーにさらされ続けていたのです。

涙が止まらなくなったのは、そんな仕事を断続的に2年ほど続けた後でした。


そして”事件”は、息子のバレエの発表会の後に起こりました。

発表会が何とか成功して裏方の母親としてほっとするのもつかの間、
英文を訳してくれないかという企業からの依頼がありました。

とても疲れていましたが、その仕事をすることにしました。

納期があるので、それに間に合わせるために夜も眠らず(眠れないのです)、
英文を読んでいました。

夫が異常を感じたときがいつかはわからないのですが、
気がついてみると、私は自動車の中(タクシーらしい)、
そして病院で、なぜか私は車椅子に乗せられました。

待っているときに、自分の昔の友だちや知人が待合室にいて、
私はその人たちに話しかけました。

でも皆迷惑そうな顔をしました。

診察室にある人体の図形に書いてある説明文など、
まわりに書いてある文字すべてが、アルファベットに見えました。

夫によると私はすごい力で抵抗したらしく、
夫の言うことをきかず、病院の外へ行こうとしたそうです。

その病院から精神科の専門病院へ行くときは、
病院の車(救急車?)で行きました。

私は車の中で暴れたことを少し覚えています。

着いたら、病院のドアが両開きに開いたこと、
そこから先の記憶はありません。

そこで医師に「一週間、家で様子を見てください」と言われた夫は、
私を連れて帰りました。


夫はここから先のことをあまり話したがりません。

思い出すのも辛いようなのです。

具体的には、まず私の顔が異常で、子供たちも怖がったそうです。

まるで死んだ人のようだったといいます。

それから私の行動がおかしく、家族が私に「ご飯を食べた?」ときくと、
「食べた」と答えたそうです。

しかし実際は食べてなくて、ぐったりしていたようです。

それから、私が勝手に外に出かけたりしたそうです。

夫は1週間会社を休んで私の介護をしてくれたのですが、
とても手におえない状態だったそうです。


でも私自身は全然怖くなかったです。

ただ、部屋が花でいっぱいだったので、
これは自分のお葬式かなと、ごく自然に思いました。

昼と夜との区別があまりなくて、部屋の窓の半分が暗かったり、
不思議なことがありました。

家からひとりで外へ出てみると、そっくりな2匹の犬がいて、
かわいいと思って撫でたりしました。

しかし実際には、近所にはそんな犬はいないのです。

おかしなことですが、その一週間というもの、
私はもうこの世にいる気がしなくて、
生きているのか死んでいるのかわからない感じでした。

よく眠ったり、夢を見たりもしたようですが、あまりわかりません。


一週間後、夫と一緒に病院へ行きました。

診察室に入るとまったくはじめて見る医師(現在の主治医です)が
「僕のこと覚えていますか」とききました。

私は首を横に振りました。

医師は私を見て、「この間のときよりはずいぶんよくなりましたね」といい、
もう少し何か話して、薬を処方しました。

それは、朝、ルジオミールとデパス、
夜、ルジオミール・デパス・ヒルナミンというものでした。

これが4年前の一週間の状況です。

医師の説明は「これはいわゆる精神病ではなく、一過性の解離状態である」
というものでした。(そして病名は「解離ヒステリー」でした)

その後もう一度この状況に近いような精神状態になりました。

でもそのときは、異常だという自覚が自分でも少しあり、
これほどひどい状況にはならずにすみました。


それから今日に至る4年間に、激しい抑うつ状態・自殺願望があり、
眠れない時期もありました。

字を書こうとすると、手が震えたりもしました。

処方されている薬は、4年前とそれほど変わっていません。

この4年間に何とか仕事ができないかとやってみましたが、
結局続かず、やめざるをえませんでした。


私はずっと自分がうつ病だと思っていました。

ですから、薬と休養によって治っていくと思っていました。

しかし、今にいたるまで、抑うつ状態は軽くなったものの、
相変わらず家事をすることも困難で、体がだるく、寝たり起きたりの生活です。

激しく泣いたりするような精神的にひどい状態が薄らいだ分、
気力がなく体が思うように動かず、寝ていることが多くなりました。

友人から「会いませんか」と誘われたりしますが、
人と会って話をするととても疲れるので、だんだん人とも会わなくなりました。

今はあまり楽しみもありません。

うつ病についてはいろんな説があり、戸惑います。

このまま病院へ通い続け、薬を服み続ければ、
よくなるだろうとも思えなくなりました。

薬はきちんと服んでいますが、服んだから効いているいう自覚はありません。

主治医はいつも「症状には揺れがあり、波がありますから」というだけです。

これって難治性のうつ病にあたるのでしょうか。

辛いのは、日常のあたりまえのような家事さえなかなかできないこと。

そして、好きだった英語がもう苦痛になってきたことです。

生きがいといえるほどの趣味だったのに。

それに、現在の自分の状況がどんな病気のどの段階なのか、
わからなくなって困っています。

しかし上の息子は、私が病気になったことをわりと冷静に見ています。

彼は、以前のような元気な私に再び戻ったら困る、と言うのです。

なんとなく、彼の言うことがわかるような気がします。

とはいえ私は、今のままの状態だと苦しいのです。

回復するということが、元の自分の状態に戻るということではない、
とは自覚しています。

この相談によって、何か回復への手がかりのようなものを
見出したいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。




A:あなたの精神状態の推移が、非常に精緻に記載されていて、
妙な言い方ですが、とても貴重な記録だと感じました。

<これって難治性のうつ病にあたるのでしょうか。>

<現在の自分の状況がどんな病気のどの段階なのか、
わからなくなって困っています。>

ということですので、今回は診断にこだわってみたいと思います。


<2年生のとき睡眠時間を4時間くらいにして
自分で勉強し始めました。

精神的に緊張状態で、夜1時に寝ても、朝は5時に目がさめ、
それから7時くらいまで勉強して、登校するという期間もありました。>

<英語の世界は競争が激しく、
特に実務経験もない私には、仕事がまわってきそうにありませんでしたが、
トライアルなどを受けていると、
翻訳の下請けの下請けみたいな仕事が時々入るようになりました。

報酬は10日間で仕上げて1万円とかそんなものでしたが、
将来につながるかもしれないと思って引き受けていました。

しかし今から考えると、その当時の私の生活はモーレツなものでした。

非常に短い納期によるプレッシャーにさらされ続けていたのです。>

<発表会が何とか成功して裏方の母親としてほっとするのもつかの間、
英文を訳してくれないかという企業からの依頼がありました。

とても疲れていましたが、その仕事をすることにしました。

納期があるので、それに間に合わせるために夜も眠らず(眠れないのです)、
英文を読んでいました。>

ということから見ても、以前からあなたは、
自分を追い込むことが常態化していたようですね。

もちろん、実務能力がかなりあったため、
まわりもあなたに無理な仕事を依頼しつづけたのでしょう。

また実際に、これだけの密度の仕事を
こなしておられたことから考えても、
持続的に躁状態にあったという可能性も考えられます。

<上の息子は、私が病気になったことをわりと冷静に見ています。

彼は、以前のような元気な私に再び戻ったら困る、と言うのです。

なんとなく、彼の言うことがわかるような気がします。>

という記述が、それを示唆しているかもしれません。

(躁状態というのは、ただご本人が元気なだけならいいのですが、
大概まわりにいる人々も巻き込まれ、
”はた迷惑”であることが多いのです)

こんな状況で、”事件”は起きます。

<夫はここから先のことをあまり話したがりません。

思い出すのも辛いようなのです。

具体的には、まず私の顔が異常で、子供たちも怖がったそうです。

まるで死んだ人のようだったといいます。

それから私の行動がおかしく、家族が私に「ご飯を食べた?」ときくと、
「食べた」と答えたそうです。

しかし実際は食べてなくて、ぐったりしていたようです。

それから、私が勝手に外に出かけたりしたそうです。

夫は1週間会社を休んで私の介護をしてくれたのですが、
とても手におえない状態だったそうです。


でも私自身は全然怖くなかったです。

ただ、部屋が花でいっぱいだったので、
これは自分のお葬式かなと、ごく自然に思いました。

昼と夜との区別があまりなくて、部屋の窓の半分が暗かったり、
不思議なことがありました。

家からひとりで外へ出てみると、そっくりな2匹の犬がいて、
かわいいと思って撫でたりしました。

しかし実際には、近所にはそんな犬はいないのです。

おかしなことですが、その一週間というもの、
私はもうこの世にいる気がしなくて、
生きているのか死んでいるのかわからない感じでした。

よく眠ったり、夢を見たりもしたようですが、あまりわかりません。


一週間後、夫と一緒に病院へ行きました。

診察室に入るとまったくはじめて見る医師(現在の主治医です)が
「僕のこと覚えていますか」とききました。

私は首を横に振りました。>

これを指して、あなたの主治医は
”精神病ではなく、一過性の解離状態”だと説明し、
それは「解離ヒステリー」という疾患によるものだといった訳です。

ここで「解離ヒステリー」について説明することにしましょう。

「解離ヒステリー」を、弘文堂の『精神医学事典』で引いてみると、
次のような説明があります。

”解決困難な葛藤にさらされた場合、
それにまつわる観念や感情を関与しない精神の部分から切り離して、
過去の記憶・同一性と直接的感覚の統制に関する統合が
全面的あるいは部分的に失われることを、解離反応という。

そのような起こり方をした神経症は、
「解離ヒステリー」「解離性障害」などと呼ばれる。・・・”

”解離”という言葉は、もともと精神分析の用語です。

現在では、精神分析家でなくとも、広く用いられる言葉ですが、
”解離(反応)”について何かを語る場合、
その”解離”の成り立ちについて触れる必要があります。

というのも精神分析は、”こころの動き”(心的力動といいます)を
説明することを主眼とした立場だからです。

したがって、上記の説明で一番重要なのは、
”解決困難な葛藤にさらされた場合”というところです。

「解離ヒステリー」という診断がなされる場合、
このような”葛藤”の存在が、前提となっていなくてはなりません。

そして、この”葛藤”は無意識レベルのものとされるため、
簡単に抽出できる類のものではありません。

ところで、あなたの主治医の診断が
本当に「解離ヒステリー」だったとしたなら、
それには若干無理があるように思います。

というのも、あなたに会って1週間(それもたった2回目!)で、
あなたのうちに潜在する”葛藤”など分かろうはずもないからです。

(ただしこの「解離ヒステリー」が、
確定診断ではなく仮診断であるなら話は別です)

私がこのような状況であなたに会ったなら、
いきなり”解離状態”であるなどとは告げません。

こころの因果関係が定かではないこの状況では、
あなたのうちにどのような”葛藤”が秘められているか
(あるいは秘められていないか)、
全く見当がつかないからです。

そのかわりに、あなたの状態は「せん妄状態」であったろうとは言えそうです。

「せん妄状態」って何?

これも先に倣い、弘文堂の『精神医学事典』から引いてみましょう。

”軽度ないし中等度の意識混濁に
錯視・幻視・幻聴などの妄覚や異常行動が加わり、
特徴ある臨床像を呈する意識変容の代表的な形である。

認知機能が障害されるために、外界は夢幻様に変容して錯覚が起こり、
一方、表象は知覚的な性質をおび、実在するものと区別されない。

これらの錯覚や幻覚は現れては消え、あるいは夢のように展開し、
患者は夢幻的な世界に没入する。・・・”とあります。

この状態のとき、REM(急速眼球運動)と、
REM睡眠期(特異的に、REMが見られる睡眠期)と同様の脳波パタンが見られ、
また実際のREM睡眠期とは異なり、筋電図の消失を伴いません。

なんだかややこしいですが、簡単に説明すると、
通常夢見をするREM睡眠期(眼球は急速な動きがあるにもかかわらず、
体の筋肉は弛緩している状態)のような脳の状態でありながら、
筋肉が動くので、その夢見に従い、
体を動かしてしまう(すなわちこれが”異常行動”)という訳です。

「せん妄状態」の原因は実に様々で、特定できないことが多いです。

ただ通常はすみやかにかつ完全に回復し、
後に脳の器質的な障害を残しませんが、
(あなたの場合も、完全回復しているようです)
まれに残すこともあります。

この診断名のメリットは、その因果関係を同定しなくとも、
「せん妄状態」を”横断的に”把握すれば、
ただちに治療的関与が可能だということです。

ちなみに「せん妄状態」の治療には、
セルシンなどマイナートランキライザーや
セレネースなどメジャートランキライザーの筋肉注射
(場合によっては静脈注射)を用いることが一般的です。

(ただし、「せん妄状態」の元となる身体疾患がはっきりしている場合は、
当然その原疾患の治療も行われなければなりません)

ではあなたは、先に主治医に診断された「解離ヒステリー」
ではなかったと言い切れるのでしょうか。

残念ながらこれから何年たっても、
あなたは「解離ヒステリー」でなかったと断定することはできません。

あなたのこころのうちに、
いかなる”葛藤”もないとは判断できないからです。

それゆえ「解離ヒステリー」であるかもしれないとはいえても、
逆に絶対そうでないとはいえません。
(「解離ヒステリー」の非在は証明できない、ということです)

なかなか込み入った話ですね。

もし、あなたが「解離ヒステリー」である
という”仮説”が有効であるなら、それに基づいた長年の治療で
ある程度良くなっていなくてはなりません。

しかし実際には、そうはなっておらず、
”何か回復への手がかり”を求めて苦しんでおられます。

そういう意味では、あなたが「解離ヒステリー」であると想定しても、
あなたの実利に適っていかないのではないかと私は考えます。

ここでは、別の疾患である可能性を提示することにします。

最近あまり使われないのですが、
昔から、関西と中部あたりの精神科医を中心に使われる病名に
「非定型精神病」というものがあります。

私は、あなたがこれではないかと疑っております。

これもきっと聞きなれない病名でしょうから、
説明することにします。

もともと二大(内因性)精神病といわれるものに、
統合失調症(精神分裂病)と躁うつ病があります。

この二大精神病の双方の特質を備え、
どちらとも判別不能なものを指して、
「非定型精神病」と呼んでいたのです。
(「非定型精神病」ではさらに、
てんかんの特質も備わっているとされています)

1:「非定型精神病」が、統合失調症や躁うつ病などとは違う
独立した疾患だとする立場、
2:統合失調症・躁うつ病とてんかんが混合したものとする立場、
3:統合失調症・躁うつ病自体そもそも類型化することができないとし、
同様に「非定型精神病」も類型化できないとする立場、
の3つに分けることができますが、
まあこのあたりは、臨床実践的にはどうでもいいことでしょう。

この「非定型精神病」の特徴は、以下の通りです。

1:横断的にみた病像は、急性統合失調症であるが、

2:経過は躁うつ病に似て、周期的(あるいはエピソード的)であり、

3:ほぼ完全に寛解するもの

(発症は急激。
病像は、意識・情動・精神運動性の障害が支配的であり、
多彩な統合失調症様状態となる。
幻覚は感覚性優位で、妄想も流動的・非系統的。
[『精神医学事典』より])

(あなたの場合、周期的ではなくエピソード的(1回だけ)ですが、
情動の”波”や発動性の”浮き沈み”はあるようです。

またここでいう”寛解”とは、
”急性統合失調症”様状態を指していうのであって、
いまある”うつ”のようなものを指しているのではありません。

それから先程指摘した「せん妄状態」については、
”意識・情動・精神運動性の障害が支配的”とあることから、
「非定型精神病」の経過の中で見られたとしても、矛盾はありません。

また、現在の基調が”うつ”であったとしても、おかしくはありません)

どうです、あなたにある程度、当てはまるのではないでしょうか。

(仮に「非定型精神病」とした場合の薬物療法について。

ベースにリ-マスやテグレトールといった感情調整薬を使用します。

そこに抗うつ薬を適宜使用します。

ここではルジオミールが使われていますね。

それから再度、急性精神病状態になった場合は、
一時的にメジャートランキライザーを処方します。

すなわち私は、あなたが
感情調整薬を服用してみる余地があるかもしれない、
と考えてみたのです)

ただし、これだけの情報をあなたからいただいても、
あなたに直接お会いしてない私には
どうしても最終的な診断ができぬ”弱み”があります。

この疾患に関しては、”手触り”がとても重要なので、
ここでとりあえずの診断をお示しするのは、”冒険”になります。

ただ現在、あなたの治療は膠着状態にあるようですから、
それに一石を投ずるべく、あえて蛮勇を奮ってみたのです。

(”本メルマガの正確性、合法性および道徳性については、
補償いたしません”とあえて断っているのは(笑)、
時としてこのような”チャレンジ”も
このメルマガでする必要があろうと考えるからです)

あなたの今の主治医は、
それなりに筋道だった診断・治療をしてきているように思います。

「解離ヒステリー」という病名も
まったく見当はずれという訳ではないような気がします。

しかし、ここまでやってきてうまくいかなかったのですから、
新しい見立て・治療の可能性を求めてもいい
時期がきているようにも思います。

もしあなたの次の主治医が、前の主治医や私と違う診断を下しても、
あなたの苦しみを和らげてくれるなら、
あなたにとっての良医ということになります。

それから最後に一言。

<回復するということが、元の自分の状態に戻るということではない、
とは自覚しています。>
といわれていますが、これは卓見です。

なかなかこうは開き直れないものです。

”生きていくとは、元に巻戻すことではなく、
新たに別の境地に立ちつづけること”

これは患者さんだけにいえることではなく、
生きている人すべてに共通する普遍的真理です。

病気になると、このようなことを実感しやすくなります。

苦しみのなか、曲がりなりにも処世してこられたことが、
生きる知恵を生み出しているかもしれません。

すべてが人生の達人への道。
そう考えると、これまで病んできた人生も満更ではないかもしれません。



熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
臨床感覚の広場のサイト:http://www.dr-kumaki.com/
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