あいち熊木クリニック院長熊木徹夫の精神科無双夢想 ~<あいち熊木クリニック>開設、その後~
院長である精神科医の熊木徹夫と、建築家の筧清澄が、 臨床と建築に対するそれぞれのこだわりを、余すところなく出し尽くす場としてのブログです。


プロフィール

熊木&筧

  • Author:熊木&筧
  • 熊木 徹夫

    2007.07「あいち熊木クリニック」開設


    筧 清澄
    1968 06 10
    1998 筧建築設計開設

    筧建築設計
    名古屋市中村区下米野町3-29
    k-kakehi@za2.so-net.ne.jp
    TEL/FAX 052-451-9976



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『毎日カップラーメンにジュース・・放っておいていいの?』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介



<熊木先生、はじめまして。

私は、居宅支援事業の相談に当たっている者です。

今年からその仕事に従事し始めて、いろいろな戸惑いを感じています。

私自身にとっての、患者さんに対する理解の助けとなれば
との思いで、投稿させていただきます。>


さて今回は、パイナップルさんの2つの質問に答えることにします。

まずは一つ目の質問。


<Q1:{30歳の統合失調症患者、Yさんのこと}


アパートで単身生活。

人に対して緊張感が強く、気疲れの強い人。
(と、就労所の職員からの情報)

毎食カップラーメンを食べます。

たまに何か作って食べるといっても、
ハンバーグだけを食べたりして暮らしています。

ヘルパー派遣により食事の偏りを是正しては、と持ちかけても応じない。

それは改善意欲がないのか
あるいはヘルパー派遣での気遣いを嫌がってのことか不明。

”それならば”と安価な宅配の弁当の情報を持っていったが、
それも「いいことですね、ありがとうございます」という
返事はあるものの、受け取ってはくれませんでした。

この方には肥満にまつわる生活習慣病
(最近話題のメタボリックシンドローム)があり、
内科受診を勧めていたところ、
だんだん精神的に落ち込みが強く見られるようになって、
ついには、軽就労の場にも出てこれなくなりました。

そして、週に1回掃除のために入っていた
ヘルパーの訪問も拒否するようになって、
とうとう親元(別の市)に帰ってしまうことになりました。

私は、この方に対して何を支援すればよかったのでしょうか。

服薬管理、・・これは問題なかったと聞いています。

が、状態悪化したのはなぜ?

主治医と連絡を取り合えばよかったのか。

生活習慣病の治療・・本人に問題意識があればよいだろうが、
そうしようとしない場合は、家族に相談するのがよかったのでしょうか。

また、主治医からの働きかけをお願いすればよかったのでしょうか。

せっかく単身生活をスタートさせたばかりだったのに、
残念な結果になってしまいました。

そしてこれは、この患者さんに限らず、
一般的に若い男性にみられることなのでしょうか?

若い男性は、食生活を重要視していない人が多いように思います。

だから、患者さんに限ったことではないのかもしれませんが、
食生活の極端な偏りや生活習慣の固定化等が
将来の病気の再発に繋がるかもしれないので、心配してしまいます。

毎日カップラーメンで平気とか、
毎日ジュースと缶コーヒーを2本飲む習慣とか、本当にいいのでしょうか。

極端な生活習慣の固定化は、
どういうこころの状態からくるものなのでしょうか?>


A1:このような方、実は珍しくありません。

<人に対して緊張感が強く、気疲れの強い人>とありますが、
統合失調症の患者さんだと、このようなタイプが多いですね。

<毎食カップラーメンを食べます。

たまに何か作って食べるといっても、
ハンバーグだけを食べたりして暮らしています。

ヘルパー派遣により食事の偏りを是正しては、と持ちかけても応じない>

というのも、よくわかります。

ある生活習慣をかたちづくると、奇妙なまでにそれに拘り、
誰が何といおうと、頑なにそのスタイルを維持する。

その姿は、ある意味滑稽ですらあります。

しかし、本人はいたって真剣。

”正しい生活習慣”をよそから持ち込まれても、
なかなか適応ができません。

頑固というより、不器用なのです。

ヘルパーであるあなたが良かれと思い、
アドバイスしてくれ、手を差し伸べようとしてくれていることは、
この方はよくわかっているはずです。

むしろ、わかりすぎていて、それを拒まざるをえないことに
かえってストレスを感じているかもしれません。

このような方は、一見人嫌いに見えますが、実は逆。

とても寂しい・人恋しいと感じていることが少なくないのですが、
不器用ゆえ、それを態度でうまく伝えることができない。

他人との距離を測るのに、いちいち過剰な意識をしなければならず、
他人をまったく寄せ付けないか、逆に不自然なまでに接近してくるか、
どちらかであることが多いように思います。



ところで、近頃「ノーマライゼーション」という言葉が、
医療者間でよく発せられます。

これは”正常化”という意味で、深い思慮もなく使われることが多いですが、
実はこの”正常化”というのがくせもの。

たとえば、統合失調症の患者さんであれば、
(入院→退院し、通院)という状況にもっていくのがそうですし、
復職したり、結婚したりさせるのもそう。

いわば、”一般人”の生活に近づけることが「ノーマライゼーション」です。

でも、統合失調症の患者さんは、
そもそも”一般人”の生活が苦手なことが多いのです。

精神科医の中井久夫先生が、著書『分裂病と人類』(東京大学出版会)の中で、
分裂病(統合失調症のこと)の気質をもつ人というのは、
いつの世、どの地域にも普遍的に一定数存在してきた、
それというのも分裂病気質者は人間全体にとって、必要不可欠な存在だからだ、
という趣旨のことを述べられています。

狩猟で生活の糧の大部分を得てきた社会、
あるいはシャーマンが崇められてきた社会では、
分裂病気質者は、むしろ世界の中心にいたのです。

ところが、農耕が主な生産・生活手段となったあたりから、
社会は次第に神経症的になり、
それは工業化社会において、ますます顕著になっていきました。

そして、そのような社会に適応できない分裂病者は、
社会から疎外され、場合によっては精神病院などの施設に
閉じ込められるようになっていきました。

すなわち、分裂病者が”まともかまともでないか”というのは、
時代の趨勢・人々の価値観・許容力などに大きく左右されてきたのです。

私たち医療者は、時折このように、
自分たちが当たり前だと思う見方を相対化しなくてはなりません。

統合失調症患者さんの「ノーマライゼーション」を担う
あなたや私などは、そのことを意識すると、
自分のやろうとしていることが本当に正しいことなのか、
ジレンマを抱えることになりますが、それは仕方のないことなのです。



ただ、このケースでは、社会適応とは違う
もうひとつの「ノーマライゼーション」の軸が問題になっています。

それは、体の健康の問題です。

<肥満にまつわる生活習慣病>をもつ人だということですので、
その体調管理を担うということも、
ヘルパーとして大事な業務になってきます。

しかし、<肥満にまつわる生活習慣病>というのは、
”正常者”(妥当な表現であるかどうかわかりませんが、
一応精神障害者でない人を、ここではこう呼んでおきます)
にとっても、その治療はなかなか過酷です。

自らを律しなくてはならず、その生活は我慢の連続です。

しかも劇的に治ることなどなく、うまくいって予防ができるという程度です。

今の世では、自らの健康を維持すること、他者がその援助をすることは、
一応”正義”と見なされます。

しかし、自らの健康を省みないとしても、
誰にも迷惑をかけてはいないわけですから、
(まあ、援助者泣かせではありますが、
他害行動などが及ぼす迷惑とはまったく質が異なります)
その人の”勝手”だといえば、まあそうです。

そのような事柄にどこまで介入すべきなのか、
あるいはそもそも介入が可能なのか、難しい問題です。

ついでにいうなら、統合失調症患者さんは、正常者”と比較して、
有意に<肥満にまつわる生活習慣病>になる人が多いです。

それは、統合失調症という病気自体のせいなのか、
あるいは内服を欠かすことのできない向精神薬の副作用によるものなのか、
はっきり言い切ることはできません。

(おそらく、その両方が原因でしょう)

加えて、一般に統合失調症患者さんは身体の自己管理が苦手であり、
また自らの生に対する執着が希薄であるように思います。



なんだか、悲観的なことを書き連ねてしまいましたが、
どうにもならないから、何をしても意味がないということではありません。

<「いいことですね、ありがとうございます」という
返事はあるものの、受け取ってはくれませんでした>
とありますが、ここにあなたと彼との関係性が凝縮されています。

一見、矛盾した態度のようでもあり、
またあなたにこころを許していないかのようにも見えますが、
きっとこれが彼のとれるギリギリの態度なのでしょう。

あきらめず彼のことを真剣に考えて関わろうとするあなたに対し、
少々”うるさいなあ”と思ったかもしれぬにせよ、
彼が発したこのお礼の言葉は、真実のものであろうと思います。

彼はあなたの気持ちを察して、このようなことを言った。

あなたも彼の気持ちを察しようとして、あれこれ苦心を重ねている。

これで十分両者のコミュニケーションは成立していると思うのですが、
いかがでしょうか。

このようなことに悩み続けていくことも、我々の仕事のうちです。



熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
臨床感覚の広場のサイト:http://www.dr-kumaki.com/
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『重大な病気かも・・すべてが終わってしまう!』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介



Q:私は31歳の男性で、結婚しており子供もいます。

体の不調(病気や死)について、常に不安がつきまといます。

どうしたらいいか分からなくて、相談いたしました。


私は、四人兄弟(男2女2)の末っ子でした。

両親ともにいて、父には職もあり、生活は普通のレベルだったと思います。

私の幼少時に、父の事業が波に乗り、
すごくいい時期があったらしいですが、あまり記憶にありません。


しかし、小学校低学年から高学年の頃に事業がうまくいかず、
ずいぶん借金を抱えたらしいです。

生活に余裕がないんだなと、子供なりに感じていました。


小学校低学年の時に曾祖母が、中学生の時に父親が亡くなりました。
(父は過労死だと思われます)

このときに漠然とショックがあり、生死に関する恐怖感ができたのかなと思います。

その後私は大学まで進み、教職につきましたが、
五年ほどして退職し、現在は飲食店を営んでおります。


もう一つ思い出すのは、大学生時代の祖母の死亡したことです。

このときは成人でしたので、かなりショックが大きかったことを覚えています。

この祖母は、私をすごくかわいがってくれました。

このあたりから、自分もいつかは死ぬんだなと考えるようになり、
精神的にとても不安になりました。


またこの頃から、体に不調を感じることが多くなりました。

具体的には、以下のようなものです。


1:お腹が痛くなり下痢になる

2:目の周りが痛く、焦点が合わない

3:陰部がただれ、かゆい

4:睡眠不足や浅い眠り

5:記憶力が低下する

6:面白さや、やる気、風景や感覚が鈍い感じ


そして体の調子が悪くなると、重大な病気だと勝手に思い込むようになりました。

ひとたび不安が爆発すると、
体が絶対悪いんだ、重大な病気なんだと思って、
その考えから抜け出せなくなってしまいます。

たとえば喉が痛いとすると、
これは重大な病気で、もうだめじゃないかと勝手に思ってしまい、
不安で不安でたまらなくなる、といった具合です。

重大な病気だと痛いし怖いし不安だ、それに全部が終わってしまう、
といった考えがどうしても頭から離れません。


しかし内科に行っても、毎回、特に体に異常はないといわれます。

そのように告げられると、ホッして一時的に症状はよくなりますが、
しばらくすると、やはりまだ気になって仕方なくなります。

そして次第に、なんとなくこれは
心の問題が大きいのではと感じるようになりました。


今やっと、このような認識にたどりつくようになりましたが、
10年ほど前までは、心理的な問題などではなく、
本当に体が悪いんだと思い込んでいました。

とはいえいまだに、心と体のコントロ-ルがうまくいかず、困っています。

いや、心が先か体が先かさえ、よく分かりません。

時に応じて、出る症状の種類・程度も違うみたいです。

普通の人でも、心理的には不安になると思いますが、
私の場合、その程度がひどいし、問題がかなりあるのではと思います。

それなら、近所の精神科や心療内科に行けばいいのですが、
やはり敷居が高い感じがして、これまで行けていません。


いったいどうすればいいでしょう。

アドバイス、よろしくお願いします。


----------------------------------------------------------------------- 

A:(1;ときとして、自覚症状はつくられる)


まず、あなたの自覚症状から、洗い出してみることにしますね。

各々の症状から、さまざまな疾患を類推することは可能です。


1:お腹が痛くなり下痢になる

これが緊張する状況に伴うものであり、
下痢と下痢の間に、便秘が起きやすいということであれば、
「過敏性腸症候群」という病名をつけることが可能です。


2:目の周りが痛く、焦点が合わない

痛みの種類が定かではありませんが、
もし頭全体が締め付けられるように痛い、それに伴ってこめかみも重く痛い、
というのであれば、これは「筋緊張性頭痛」といえますし、
焦点があわないというのは、「眼の調節障害」で、
これは、「筋緊張性頭痛」に付随しやすいものです。


3:陰部がただれ、かゆい

これは、にわかにはわかりませんが、
「アトピー性皮膚炎」などである症状です。
本当にただれているというのであれば、
「アトピー性皮膚炎」としては掻きむしった後のひどい症状としては分かりますが、
別のものかもしれません。
しかしそれならば、外科や皮膚科で問題になると思うのですが・・


4:睡眠不足や浅い眠り

5:記憶力が低下する

6:面白さや、やる気、風景や感覚が鈍い感じ

「うつ状態」が疑われる症状です。
程度によっては、抗うつ薬など薬物が必要です。
これが問題にならないのは、症状が軽いからか、
これまで受診した医師に精神科医がいないからか・・

自覚症状は、どのような診療科においても大変重要なのですが、
一点注意する必要があります。

それは”ときとして、自覚症状はつくられる”ということです。

それはこういうことです。

何らかの体の不調を感知し、たとえば家庭医学百科のようなものを見る。

よく読んでみるとこの「○○病」というのが当てはまりそうだ。

「○○病」には、他にあれこれ症状があるみたいだ。

そういえば、先月このようなことがあった気がする。

そうだきっとこれに違いない、どうしよう・・

暗示にかかりやすく、潜在的に不安を宿している人なら、
このようなプロセスは思い当たることがあると思います。

翻って、あなたの場合ですが、いかがでしょう。

ある程度、整合的に病気の説明ができそうな自覚症状が並んでいますが、
これが後から加工されたものではなく、はじめからあったものかどうか。

(この判断は、だれにとってもなかなか難しいものですが)



(2;”医学生神経症”とは、どんなもの?)


ところで今回のご相談を受け、私はあるエピソードを想起しました。

あなたは、”医学生神経症”なるものをご存知ですか。

世間では、あまり耳にしない言葉ではないでしょうか。

これは、医療の手習いを始めた医学生が
かかりやすい”病気”の一種(もちろん俗語)です。


医学生は、医学の習い始めに人体解剖を行います。

これは、一種の医学の”洗礼”のようなものであり、
精神科医を志していた私でさえ、
横たわるご遺体という”現実の死(屍)”を前にして、
粛然として襟を正さずにはおれませんでした。

そして、そのご遺体にメスを入れる。

もう後戻りはできない、そのような覚悟が問われる瞬間でした。

このような過程で、貧血をおこして倒れる学生もいますし、
嘔吐する学生もいました。

(私の同期生にはいなかったですが、
ここで自分が医学に適性がないと悟り、
大学を退学していうことも、まれではないようです)


この医学の”洗礼”は、医学生に、ひいては医師に、
独特の心性をもたらします。

医学は死(屍)を礎としてなる学問であること、
すなわち、死(屍)を想定しないところには医学が成り立たないということ、
が当たり前に思えてきます。

例えば、正常な身体のあり方をまず学び(解剖学・組織学・生理学・生化学など)、
そこから歪み、死に傾斜した状態について学ぶ(病理学)という方法が
基礎医学を学ぶ一般的な道筋なのです。

そして、臨床医学では実にさまざまな病気が存在しうることを確認し
(診断学。これは、一種”博物学的”なものです)、
それに立ち向かう方法(治療学)を考える。


しかし、まずは診断学。

そう、西洋医学では、治療学より診断学が圧倒的に重要だと考えられています。

(難病ばかり扱う診療科では、治療学はペシミスティックな見方で被われてしまって、
精緻に構築されつくした診断学だけしか
実質的には機能していないという状況があります)

治療学というのは、希望に通ずる一条の光なのですが、
ここに至るまでの病理学・診断学という道程は、まさに”暗夜行路”です。

その病気が治るか治らぬかについてはまず保留して、
病気の分類・鑑別診断を営々と行いつづけることを余儀なくされるのです。


さてここで、医学生の話に戻りますが、
病理学から診断学を学び、この世に存在するあまたの病気を見せつけられると、
医学生のうちに奇妙なことが起こります。

今教えられた病気が、みな自分の体に当てはまるように思えてくるか、
逆にちょとやそっとの病気に触れても驚かなくなるか。

前者は病気に対し過剰に敏感な状態、
後者は病気に対し過剰に鈍感な状態といえるかもしれません。

両者はまるで逆の反応ですが、いずれにせよ、
従来から持ち合わせていた病気に対する感性では対応がおぼつかず、
これまでと別のかたちの適応をおこなったものと考えられます。

このように医学を学ぶということ、病気を知りすぎるということは、
なかなかに”ショッキング”な体験であるわけです。

先述の”医学生神経症”とは、
”今教えられた病気が、みな自分の体に当てはまるように思えてくる”
状態を指して、いっているのです。

(この表現に、ブラックユーモアが込められているのは分りますか。

他人の体を、知識としてはよく知るはずの医学生や医師(特に専門外の場合)が、
こと自分の体のことになると冷静さを欠いて、
依然無知のまま、ただおののいているこの姿を、
自嘲的に表した”病名”なのですから)


(3;「卵が先か、にわとりが先か」)


ただ、その病気を”本当に知る”(すなわち、真のプロになる)ようになれば、
このような迷いはなくなります。

(ただし、シリアスな現実に直面しなければならない、という
別の過酷さを引き受けねばならなくなりますが)

”なまじ知る”というのが、不安のおおもとになるのです。

(医療のプロではなく、プロの卵である”医学生”に
とりわけこのような”神経症”の症状が出やすいという現実も、
それを証明しているといえます)


ここからは、あなたの話です。

あなたは、大切なお婆さんの死などが引き金になって、
来るべき自らの死に対し、とても過敏になられたということです。

そして、死に対する不安・恐怖から、
体の不調に対しての感度が上昇した、とあります。

すなわち、<身近な人の死>→<死に対する不安・恐怖>→<体の不調に対する感度上昇>
の順に、問題が発生してきたらしい。


しかし、本当にそうでしょうか。

ある時、ふと感じた体の不調。

それがどんどん、気になって気になって仕方がなくなる。

なぜ、自分はこのような思いに捉われ、
日常生活で一歩も外へ出られなくなってしまったのか。

そういえば、どんなささいな症状からでも、
必ずたどりつく感情の行き着く先があった。

それは、自らが死ぬということへの恐怖。

これについて考え出すと、気が違いそうになる。

でも、もとはといえば・・曾祖母が父が、そして祖母が死んだことが引っかかっていたから・・
そうだ、きっとそうだ!

この順番は先ほどとは逆で、
<体の不調に対する感度上昇>→<死に対する不安・恐怖>→<身近な人の死>
ということになります。


このように指摘されると「卵が先か、にわとりが先か」分らなくなってしまうことでしょう。

あなたは、<心が先か体が先かさえ、よく分かりません>とおっしゃっています。

これは表現は違うけれど、同じ状況を指していると思われます。



(4;エンドレスゲームに陥る危険)


あなたは、精神医学的には「心気症」あるいは「心気神経症」とよばれるもので、
近頃はやりの表現では、「身体表現性障害」あたりが該当するでしょう。

自らの体の不調に対して、とても感度が高くなっていて、
何かちょっとしたことから
”これはガンや脳梗塞の予兆ではないか、死んでしまうのではないか”と考えだし、
それが止まらなくなるような状態を指していいます。

実はこれは珍しくありません。

身体科(精神科ではありません!)の受診者のうち、3~4割ほどは心気神経症者だとする
身体科医のアンケート結果があるぐらいなのです。

(心気症者は行く先々で、検査後「大丈夫、気のせいではないか」などといわれ、
いったん安心するものの、その結果を訝り、
また別の病院で検査を受けるということを繰り返す傾向があります。

すなわち、”のべ受診回数”が多くカウントされるのです。

それゆえ、心気症者の実数より、多く存在するようにみえてしまう側面もあり、
このあたりを差し引いて考える必要はありますが)


あなたの場合がそうであるように、
心気症者には、なかなか”安楽の日”は訪れません。

<たとえば喉が痛いとすると、
これは重大な病気で、もうだめじゃないかと勝手に思ってしまい、
不安で不安でたまらなくなる、といった具合です。

重大な病気だと痛いし怖いし不安だ、それに全部が終わってしまう、
といった考えがどうしても頭から離れません。

しかし内科に行っても、毎回、特に体に異常はないといわれます。

そのように告げられると、ホッして一時的に症状はよくなりますが、
しばらくすると、やはりまだ気になって仕方なくなります>

こうなると、エンドレスゲームになってしまいます。


あなたの救いは、自らの受診行動の特性を”鳥の目”で見る
(少しひいて客観的にみる)ことができるに至り、
”心の問題が大きいのでは”と感じるようになれたことです。

このような洞察を自らで獲得するのはなかなか大変なことなので、
”大きく前進した”と自信をもたれていいでしょう。


<時に応じて、出る症状の種類・程度も違うみたいです>

そう、体にキチンとした基盤をもつ病気であれば、
このような症状の推移は、少し奇妙です。

さあ、そのような状況に気づいたのは良しとして、
<精神科や心療内科へ行けばいい>かどうか。

いくばくかの向精神薬を処方されて楽になることもあるのですが、
あまり楽にならぬ場合もあります。

どこかの精神科医がもっと楽にしてくれるはずという信念を抱くと、
うまくゆかぬ場合にまたドクターショッピングが始まり、
”いつか来た道”へ逆戻りということになってしまいます。



(5;体の不調について、本当に徹底的に考え抜くと・・)


では、いったいどうすればいいでしょう。

ひとつふたつ、提案いたしましょう。


人はいずれ死ぬ存在だというのは、誰にとっても不可避な事実です。

日々その死に向かい傾斜していくという事態も、
赤ん坊でさえ免れうるものではありません。

ゆえに、人間の体が何らかの不調を抱えるのは仕方のないことです。

このような生老病死に対する怖れがあるのは、誰にとっても当たり前のことです。


あなたは、自分はその程度がひどい、とおっしゃる。

その通りでしょう。

その”弱さ”の克服ではなくて、”弱さ”の自覚をしておくことができるなら、
あなたはかなりの問題をクリアできるでしょう。


さらに踏み込むとしたら、
体の不調をいつもいつも考えているというあなた、
本当に”いつも”考えていますか。

案外そんなことはないものです。

もし、”いや、やっぱりいつも考えている”というなら、
本当に意識的にそのように実践してみるといいです。

24時間、体のある部分の不調に神経を集中しつづける。

これはなかなかできることではありません。

体の不調について徹底的に考えるなら、やがて疲れ果てるでしょう・・
そうしたら、もっと別のことがしたくなる。

それなら別のことをしましょう。

それでいいのです。

体へのこだわりが煮詰まったら、この”治療法”を思い出してみてください。

ここからほどける何かがあるはずです。




熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
臨床感覚の広場のサイト:http://www.dr-kumaki.com/

『僕は殺されたんだ、父に復讐してほしい』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介



Q:外国に在住している日本人です。

現在幻聴と思われる症状があり
ご相談させていただきたく思います。

私は35歳女性、現在カナダ在住です。

こちらで開業医の先生からお薬をもらい、
同時にカナダ人の心理学者の先生の
英語でのカウンセリングを受けています。

一度精神科にも診てもらったのですが、
何となく真剣に話を聞いてくれていないような気がしてしまって、
2回診てもらっただけで、辞めてしまいました。

今回幻聴がひどくなった気がするので、
他の先生を紹介してもらいたいと開業医の先生にお願いしましたが、
カナダでは精神科に見てもらうには2-3ヶ月またなければならず、
まだ診てもらっていません。

幻聴の内容ですが、1年半前に流産を経験し、
その子供の声が聞こえてきます。

流産当初は特に聞こえなかったのですが、
その約一年後にその相手(子供の父親、オランダ人です)
からそのことを否定され、
無視され続け始めてから、症状が出ました。
(それまでは彼に話していませんでした。)

妊娠中病院へいけなかったのは、
子供の父親が主人ではないのがわかっていたからです。

また妊娠に気がついたときには、
相手の方は既に家族を裏切ってしまっていることを
とても後悔しているのがわかっていたので、話を切り出せず、
症状からして切迫流産だと思ったので、
そのまま黙っていようと決心しました。

流産したときも自分としてはほっとした気持ちの方が強く、
その時は特に死んだ子供に対しての
罪悪感なども感じていませんでした。

ただうつのような状態になってしまうことが多くなりました。

その後しばらくしてから彼とは完全に別れて、
お互いに家庭へ戻る約束をし、
自分としては全て忘れて一からやり直そうと思っていました。

しかし、その直後に不倫について
脅迫めいた嫌がらせを受け取るようになりました。

それを相手に相談したのですが、無視されてしまいました。

また仕事に関しても同じオフィスをシェアしたりしていたのですが、
そこからいきなり追い出され、
預けてたお金などもそのままになってしまいました。

それらが重なったため、
それまで張り詰めていた糸が切れたようになってしまったのです。

辛い思いに耐え、相手のことだけを考え、
流産の件を隠していた自分が馬鹿だったのだと思い、
これまで考えていたことを手紙で書き送りましたが、
何の返事もありませんでした。

その時は、お金欲しさのあまり、
彼自身が私に嫌がらせしているのだと思ったので、
彼に対してとても攻撃的になってしまいました。

しかしその後、しばらくしてお金は戻ってきました。

また知人から聞いた話では、
彼も同様に嫌がらせを受けていたそうで、
結局私が間違っていたことがわかったのですが。

その頃から時々、死んだ子供の声が
聞こえるような気がするようになりました。

自分は殺されたんだ、父親がいないのは寂しい、
父親に復讐してくれ、
一人で寂しいから私もこっちにきて
一緒に居て欲しいとか聞こえてきます。

そのこと以外にも、仕事の面で彼からサポートを受けていたため、
仕事におけるダメージも大きく、
この半年間は建て直しのストレスもかなり大きかったと思います。

今では、安心できるところまで仕事面では回復したのですが、
無視されている、否定されているという思いが
いつまでも頭に残っています。

またオフィスがすぐ近くであるため、
道ですれ違ったりすることは避けられず、
そのたびに物凄く怒りを感じ、同時に深い悲しみに襲われ、
吐きそうな気分になることもあります。

仕事の場所はタイです。
一昨年までそちらに住んでおりました。

仕事の関係で付き合いのある人たちが重複してしまっています。

彼の奥さんから「私が彼を追い回し、
妊娠したと嘘をついて困らせている。
仕事上の付き合いをしている場合はやめたほうがいい」
といった内容の中傷のメールなどがあちこちに送られ、
とても困っているのですが、
それを辞めさせてくれるよう彼にお願いしても、
全く返事はありません。

私の方からはよく事情がわからないのですが、
人づてに聞いた話では、
彼本人は彼の奥さん(台湾人です)が
私から嫌がらせを受けていると思っているようなのです。

実際には、彼女にそのようなことは一切していないのですが。
(お金を返してくれるようお願いしたことと、
嫌がらせをやめてくれるようメッセージをしたことはあります)

とにかく何も話してはくれないので、
向こうに何が起きているのかもわかりません。

ただ私から奥さんへの”嫌がらせ”は、
私がノイローゼになってしまったためだと思われているようです。

自分の家庭の方は、この件だけが原因ではないのですが、
離婚となりました。

(主人は、カナダ人です。

離婚で私が家を出なくてはならないのですが、
一人娘を置いていかなくてはいけないので、
そのことでもとても参っています。

一年後に私が引き取る約束ですが、
本当に渡してもらえるのかとても不安です。

また私がいない一年間に、
日本語が話せなくなってしまったりするのではないかと
恐れています。

この先、娘がどんどん遠ざかっていってしまうような気がします。

それから話は複雑なのですが、これまでここで話してきた嫌がらせ、
実は私の主人と彼の奥さんが一緒につるんでやっているとしか
解釈できないことが多くあるのです。

この点については、私だけの思い込みではなく、
私の知人数人の見解の一致するところです。

まあ、どちらにも恨まれて当然であることも十分承知していますので、
このことは辛くとも耐えてゆけると思います)

心理学者の先生からは、
”原因となった相手と話をして、
心の痛みを分かち合ってもらうことのみが、
唯一短期的治療としてできること。

あとは抗うつ薬を服みつづけて20年もたてば、
やがてはすべてを忘れて、幻聴も聞こえなくなるだろう”
と言われました。

私の幻聴は原因があまりにもはっきりしているので、
精神病として取り扱う種類のものではないとの見解です。

最初に診てもらった精神科の先生も同じ意見でした。

ただ頼んでみても無視され続けるのはわかっているので、
流産の時の診断書(流産後に残留物がないか検査行っただけですが)や
精神科医からの幻聴に関する診断書を渡したらどうかとの
アドバイスを受けています。

けれどもこれまでの経過から、
そこまでしてもきっと無視されてしまうでしょうし、
そうなるとかえって症状がひどくなるような気がするのです。

そのような状況ですので、カウンセリングで言われたように、
原因となっている部分へ立ち返って、
それを一度私の心の中で、
きちんと死んだ子供のために父親と共に葬ってあげる、といったことは、
とても不可能ではないかと思います。

でもそれをしない限り、いつまで経っても幻聴が消えないことを思うと、
いっそ人生のすべてを今ここで投げ出してしまったほうが
楽になるような気もするのです。

(先生はそれは幻聴ではなく、
自分の罪の意識が作り出しているだけのものだ、
とおっしゃっています)

先月出張し、私の新しいオフィス
(数ヵ月後には私もそこへ引っ越します)の近くに
彼らが住むことになっていることがわかり、とてもショックでした。

今後毎日のようにすれ違うことになるかと思うと、
こころ穏やかでおれず、
今よりも症状が悪くなってしまうのではないかと不安です。

それが原因かどうかわかりませんが、
この2週間、幻聴のおこる回数が増したように思います。

1週間前からZyprexaという薬をもらって飲んでいますが、
特に効果はない気がします。

それ以外に現在医師より、
Talohexalという抗うつ薬を毎日服むように言われています。

このTalohexalは数ヶ月飲んでいます。

自分としてはうつになる時間が減ったようには思います。

お伺いしたいのは、
私の症状から統合失調症などの精神病になってゆく
可能性もあるのかということです。

統合失調症では、幻聴がメインの症状だと聞きました。

最初に診て頂いた精神科の先生には、
統合失調症とは全く別のタイプのものだから、
治療は原因を取り除くことに限ると言われました。

そして、お薬も出されませんでした。

いわゆるPTSDのようなものだと言われました。

この病名をインターネットなどで調べてみましたが、
戦争などの極端な体験をした人がかかる病気となっていますので、
自分ではそれは違うのではないかと思っています。

ただ幻聴の主因となっているはずの相手に
誤解されたままであることの悲しさ、
そして子供を見殺しにしまったことへの罪悪感は、
今後つのるばかりではないかと思うのです。

それが影響して、精神病に移行していったり
することもあるのでしょうか?

精神科的には、このような症状は
ただのショックから来る一時的な症状で、
長い時間が経てば治るものと考えていいのでしょうか?

それとも相手の認知が得られない場合、
ずっと症状が続いてしまうのでしょうか?

この点、どのようにお考えになられますか?

いまのところ、離婚や引越し・仕事の建て直しなど、ほとんどの面で、
事は良い方向に向かっていると感じています。

それなのに、幻聴だけが悪くなっているというのがとても心配です。

あまりにも不可解な話で、
自分でもすべてを分かっているわけではないので、
言葉で説明するのも難しいのですが、
日本語で相談できる精神科の先生に
ぜひアドバイスを頂きたいと思い、メールさせていただきました。

よろしくお願いします。

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A:<1;”倫理”や”罪”を臨床の現場で問うことの難しさ>


今回のご相談では、再三”罪悪感””罪の意識”
という言葉が出てきます。

日頃臨床に携わっていて、
”倫理”とは何か、”罪”とは何かということについて、
一介の精神科医が意見を述べることの難しさを痛感しています。

しかし、避けて通ることのできない問題であることもまた事実です。

患者さんの、ひいては人間の生き方についてあれこれ言うのは、
医師のなかでもとりわけ精神科医において特異的な事柄です。

私がこのようなご相談を受けたなら、
どのような”道”を指し示そうとするか、
お答えしてみたいと思います。


ご相談の中には、実に多く、かつ多国籍の”登場人物”がいますね。

そして各々の思いや利害が複雑に入り混じっています。

そこで最初に、各々の”登場人物”について考えてみましょう。


<2;渡る世間は鬼ばかり・・・?>


まず、あなたに不倫され、あなたとの離婚に至ったご主人について。

この不倫だけが離婚の原因ではないとのことですが、
一人娘の”綱引き”が今後展開されていきそうな気配。

あなたが不在である間に、この一人娘が
あなたがこれまでに教えてきた日本語を
しゃべれなくなるのではと心配されています。

また、オランダ人の彼の奥さんとあなたのご主人がつるんで、
”彼との間の子を妊娠したと吹聴している”という中傷メールを
あちこちに送っているというような奇怪な事態!

これが事実であるならば、
あなたのまわりの人間関係は錯綜としたもので、
全くとりとめがありませんが、まあこれは置いておきましょう。


それにしても、肝心なご主人のパーソナリティがよくわからない。

あなたからのこのような”仕打ち”(不倫のことです)に恨みを募らせ、
仕返しを果たそうとしているのは、うなずけない話ではありません。

(あなたも<恨まれて当然であることも十分承知していますので、
このことは辛くとも耐えてゆけると思います>といわれていますね)

でもあなたの不倫を知り、取り乱したのか、
はたまた気弱に笑みを浮かべたのか、
そこのところがよくわかりません。

(おそらく後者なのでしょう。

あなたのお話から類推するなら、
このご主人の怜悧で狡猾なさまが思い浮かびます。
しかしこれも定かではありません)


そして、あなたとつきあいのあったオランダ人の彼。

<妊娠に気がついたときには、
相手の方は既に家族を裏切ってしまっていることを
とても後悔しているのがわかっていたので、話を切り出せず、
症状からして切迫流産だと思ったので、
そのまま黙っていようと決心しました。>

あなたがそのような配慮をされたにもかかわらず、
それが”あだ”となるような事態に巻き込まれます。

<その直後に不倫について
脅迫めいた嫌がらせを受け取るようになりました。

それを相手に相談したのですが、無視されてしまいました。

また仕事に関しても同じオフィスをシェアしたりしていたのですが、
そこからいきなり追い出され、
預けてたお金などもそのままになってしまいました。>

この期に及んで、なしのつぶて。

彼は、妊娠・流産の事実を目の当たりにしても、
その事実を否認し、あなたに何の同情も寄せようとしません。

<辛い思いに耐え、相手のことだけを考え、
流産の件を隠していた自分が馬鹿だったのだと思い、
これまで考えていたことを手紙で書き送りましたが、
何の返事もありませんでした。

その時は、お金欲しさのあまり、
彼自身が私に嫌がらせしているのだと思ったので、
彼に対してとても攻撃的になってしまいました。>

確かに彼の薄情さは尋常ではありません。

この彼をたとえひとときでも愛したあなたが、
とても気の毒に思えてきます。

そして遂には、死んだ子供の声が聞こえてくるようになります。

”自分は殺されたんだ、父親がいないのは寂しい、父親に復讐してくれ、
一人で寂しいから私もこっちにきて一緒に居て欲しい”と。
(この幻聴については後に詳述します)

まあ、うなずけない話ではありません。


最後に、彼の台湾人の奥さんについて。

<彼の奥さんから
「私が彼を追い回し、妊娠したと嘘をついて困らせている。
仕事上の付き合いをしている場合はやめたほうがいい」
といった内容の中傷のメールなどがあちこちに送られ、
とても困っているのですが、
それを辞めさせてくれるよう彼にお願いしても、全く返事はありません。

私の方からはよく事情がわからないのですが、人づてに聞いた話では、
彼本人は彼の奥さん(台湾人です)が
私から嫌がらせを受けていると思っているようなのです>

最初に”嫌がらせ”を始めたのは誰なのか。

相手の奥さんは、あなたが先だと思っているようだし、
あなたから見ると、順序が逆のようでもある。

問題はこのような”混線”が生じた原因は、
どうやら彼にありそうだということ。

彼が自ら犯した”不始末”について、
自分の奥さんに詳細を知らせず(あるいは誤魔化し)、
あなたを悪者に仕立てたようであることが予想できます。

そこに、<それから話は複雑なのですが、
これまでここで話してきた嫌がらせ、
実は私の主人と彼の奥さんが一緒につるんでやっているとしか
解釈できないことが多くあるのです>
というのが事実であるとするなら、
まさに”渡る世間は鬼ばかり”、
あなたは救われようがないことになります。


<3;その幻聴は、子供の苦しみの名を借りた、あなたからの呪詛の言葉>

それにしても、いつもいつも被害者であるあなた、
あなたには問題がないのでしょうか。

<妊娠に気がついたときには、
相手の方は既に家族を裏切ってしまっていることを
とても後悔しているのがわかっていたので、話を切り出せず、
症状からして切迫流産だと思ったので、
そのまま黙っていようと決心しました。

流産したときも自分としてはほっとした気持ちの方が強く、
その時は特に死んだ子供に対しての罪悪感なども
感じていませんでした。

ただうつのような状態になってしまうことが多くなりました。

その後しばらくしてから彼とは完全に別れて、
お互いに家庭へ戻る約束をし、
自分としては全て忘れて一からやり直そうと思っていました>

この時点では、彼との関係はあなたにとって麗しき思い出で、
あなたは悔恨の情にとらわれることはなかったようです。

しかし流産の事実を、流した子供の父親である彼から否定され、
あなたが無視されるようになったあたりから、
”自分は殺されたんだ、父親がいないのは寂しい、父親に復讐してくれ、
一人で寂しいから私もこっちにきて一緒に居て欲しい”
という幻聴が出てくるようになります。


症状の出方は、本人が規定することはできませんから、
出方の良し悪しなどを論じることはできませんが、
私は個人的には、この症状にあまり”感情移入”することはできません。

このような言い方は、精神医療の専門家の云いとして
相応しいものではないのかも知れませんが、
どうしても”惻隠の情”というものが湧いてきません。

専門家なら、どのような精神疾患や精神症状にも全力を尽くす必要があると
お考えになるかもしれませんが、
私は、治療者の”価値判断”が
その”疾患”の予後をある程度左右することはやむなし、と考える者です。

私は臨床の現場で、
”これは死ぬほど苦しいだろう。
何の因果で、この人はこれほど苦しまねばならぬのか”
と、同情を禁じえぬ場面に多々遭遇します。

その一方で、”その程度の苦しさを大げさに言い立てるとは、
少し我慢が足りないのではないか。
救済者側の私の現状の方が、きっとよほど苦しい”
などと感じることもままあります。


この感じ方の違いは、その疾患の重篤さのみが、
基準となるものではありません。

その患者さんの境遇・生き方・人生観などから
複合的に捉えた判断です。

もちろん、この判断の正否に絶対の自信があるわけではありません。

これはいわば、”相性”のようなものかもしれません。

私の場合でいうなら、統合失調症の苦しみに
比較的シンパシーが働くように思います。

しかし、統合失調症の患者さんには無条件に優しいのではありません。

概していうなら、自己陶酔の強い患者さんのその”酔い”に対しては、
冷淡です。”勝手にすれば”と思うこともあります。

その”酔い”を斟酌せずとも、彼らは”死なない”でしょう。

それに対して、患者さんに強い切迫感があり、
”今目の前にいる私が助けなくては誰が助けるのだ”という義侠心が
湧き出してくるような場合には、
本当に緊急を要するものと思っています。

そこには、患者さんにも治療者の私にも、
”酔い”など入ってくる余地はありません。

このような状況にこそ、
精神科医という存在は”処方”されるべきものでしょう。


ところで、あなたの幻聴という症状ですが、
厳しくいうなら、それは”都合のいい症状”とでも
いうべきものでしょう。

あなたのまわりのエゴイストなら、あなたもエゴイストです。

<先生はそれは幻聴ではなく、
自分の罪の意識が作り出しているだけのものだ、
とおっしゃっています>とありますが、本当にそうでしょうか。

その幻聴は、子供の苦しみの名を借りた、
あなたから近親者に対する呪詛の言葉であって、
あなたの子供の無念をあらわしたものではないように思います。

これはPTSDに似たものではないと思います。

トラウマとは、不可抗力の状況で受けた外傷をさすもので、
あなたが加担して作ったこの状況をトラウマティックと呼ぶのは
少し解釈が親切すぎます。

また統合失調症とは、やはり似て非なるものです。

統合失調症の幻聴は、大抵の場合、”自我違和的”なものであって、
「死ね」「おまえはどうしようもないバカだ」などといった
その人の実存を深く傷つけ脅かすものです。

今後、このような形には”発展”していくことはないでしょう。


<4;あなたは簡単に救済されない方がいい>


ではどうすればいいのか。

私はこのような苦しみは、簡単に救済されない方がいい、と考えます。

このたびあなたが、人間の”原罪”に触れたとするなら、
その苦しみをあまんじて受け、徹底的に苦しみぬくこと、
そうでないと、いま心理の先生から与えられている
”お為ごかしの慰撫”だけでは決して解消しきれない何かが、
時を経て再燃することになるでしょう。


<心理学者の先生からは、
”原因となった相手と話をして、
心の痛みを分かち合ってもらうことのみが、
唯一短期的治療としてできること。

あとは抗うつ薬を服みつづけて20年もたてば、
やがてはすべてを忘れて、幻聴も聞こえなくなるだろう”
と言われました>

<ただ頼んでみても無視され続けるのはわかっているので、
流産の時の診断書(流産後に残留物がないか検査行っただけですが)や
精神科医からの幻聴に関する診断書を渡したらどうかとの
アドバイスを受けています>

この心理の先生のアドバイスにも、疑問が残ります。

抗うつ薬を服むのはいいとしても、
20年もたたなくては効果がないような話をされていること、
(通常、1ヶ月もすれば効果が出てきますし、
それで効果がなければ、増薬・変薬を試みます)
また20年服んだあかつきには、
晴れてすべてこころのわだかまりが拭い去れて、
幻聴もなくなるということですが、
抗うつ薬において、このような長期的効果は説明されていません。

まあ”ひぐすり(日薬)”ということがいいたいのでしょうが、
あまり根拠にない話のように感じます。


それから、心の痛み
(先述したように、この言葉を軽々しく使うべきでないとは思いますが)
を分かち合える相手がいないあなたの現状は、
確かに少し厳しいものです。

しかし、流産の時の診断書や精神科医からの幻聴に関する診断書を携えて、
彼の元に行くという行為は、決して現実的なものとはいえないでしょう。

またこうすることのみが、
果たして唯一の短期的治療となるか、疑わしいところです。

(症状を緩和するだけなら、もっといろいろな方法があると思います。

ただし、ここで症状を取り去り、
”喉元過ぎれば熱さ忘れ”るのであれば、
こういうやり方は、あなたの人生において
取り返しのつかないマイナスになるのではという危惧は、
これまでに申し上げたとおりです)

いずれも、あまり”スジ”のいい回答とはいえません。


<5;求められるのは、悩みぬいた果ての”祈り”>


まあそれはともかく、悩みぬいたあなたが辿り着く果ては?

日本に昔からある慣習に”水子供養”というものがあります。

ご存知のとおり、何らかの事情で
この世に生を受けることが適わなかった”子”たちを弔い、
その”子”と関わった”親”たちが
精神の安寧を得ようとするものです。

必ずしも”水子供養”のかたちをとる必要はありませんが、
やはり”祈り”の気持ちというものが大切だと思います。

(”水子供養”を便宜的に用いて、後腐れなく何の葛藤も抱えず
やり過ごしてしまうカップルもいるようですが、
これは”水子供養”の本来的な用い方でないのは
いうまでもないでしょう)


ここまで、かなり厳しいことを話してきました。

責められるべきはあなただけではないかもしれません。

しかし、どこの国へ行っても、どこの国籍の人と接していても、
清い魂の持ち主には、自然清い魂が触れ合いを求めてくるものです。

あなたが居住まいを正すことで、
これまであなたの回りにいたような
薄情な人々の”権謀術数”に嵌められるようなことは二度となくなる、
私はそう信じています。


熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
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『お前と俺は運命共同体だ!(5)』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

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『お前と俺は運命共同体だ!(5)』

~「もう悩まなくていい--精神科医熊木徹夫の公開悩み相談(21-5)」~

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A:<5;秘密保持に伴う危険>

このようなケースに限らず、近頃
いびつに肥大化したナルシシズムがもたらす反社会性が
取りざたされるようになってきました。

(DV:ドメスティクバイオレンス、家庭内暴力なども、これにあたります)

あなたは彼に誠心誠意関わろうとした訳ですが、相手が悪すぎました。

今回の事態は、もちろんあなたに一点の非もありませんが、
今後このような理不尽な"やけど"を負わぬためにも、
若干の警戒心をもつ必要はありそうです。

「秘密にしておいて」「内緒にしておいて」という言葉には、
まれに危険が伴う場合があるということです。

あなたや私も含め医療者は、
患者さんのプライバシーに対し守秘義務があります。

これは当然のことですが、
このような職業モラルにつけ込むほんの一部の不心得者が存在することを、
こころのどこかで意識しておくことにしましょう。


(おわり)


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『お前と俺は運命共同体だ!(4)』
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『お前と俺は運命共同体だ!(4)』

~「もう悩まなくていい--精神科医熊木徹夫の公開悩み相談(21-4)」~

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A:<4;「誰かにいうと大変なことになる」!>

さて、今後どうすればいいかですが、いくつかアドバイスいたしましょう。

1:他者になるべく現状を伝え、身辺の風通しをよくすること。
2:被害状況の証拠を残すこと。
3:精神科への受診

1:「誰かにいうと大変なことになる」というのは、
彼らストーカーの決まり文句です。

この脅しにあらがうのは、非常な恐怖を伴うと思いますが、
ここは勇気を持つべきです。
(この秘密を維持したままだと、ストーカーの思う壺です)

具体的には、親兄弟・彼氏・友人・職場の上司
(友人・職場の上司の場合、秘密を守ってもらえる人に
限定しなくてはなりません)、そして警察です。

(最近様々なストーカー被害が重なったことから、
ストーカー規制法というストーカー被害者にとって
非常に力強い法律が制定されました。

警察内にも、生活安全課にストーカー対策室が設けられるようになっており、
そこで気軽に相談にのってもらえるようになりました)

それから、携帯電話番号を変えるなど、
ストーカーの侵入経路をふさぐ配慮が必要なのはいうまでもありません。

2:被害状況の証拠は、自分で残せる限り残しておきましょう。

脅迫メール・手紙の類はもちろん、
脅迫電話があるならそれもテープに記録しておきましょう。

(このようなものを集積する作業には、非常な不快さを伴うでしょうが)

これは警察に提出するためのものです。

3:<そして外出するのが怖くてしようがなくなり、
病院にいくこともできなくなってしまいました。

いつも見張られている、聞き耳をたてられている、そんな感じです。>

不本意だと思いますが、精神科の受診をお勧めします。

現時点で、不安・恐怖、それからくるひきこもり、そして被注察感と、
立派に精神症状が存在します。

これは、このような仕打ちを受ければ当然起こってくることですから、
病名は「心因反応」などとなるでしょう。

精神科で、あなたの苦しみを聞いてもらい、
その上で薬(抗不安薬や抗精神病薬など)をもらえば、
いくらか楽になると思います。

いろんな協力者がいた方がいいので、
このような方向からも楽になることを考えてもいいと思います。

(つづく)


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『お前と俺は運命共同体だ!(3)』
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『お前と俺は運命共同体だ!(3)』

~「もう悩まなくていい--精神科医熊木徹夫の公開悩み相談(21-3)」~

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A:<3;"味方"が"敵"となったとき>

ところであなたの場合ですが、この患者さんから、
すっかり"味方"と認識されてしまったようです。

<6ヶ月経ち、ようやく退院の日を迎えたのですが、その日の夜、
「つきあってほしい」と告白されてしまったのです。

そこで「他に好きな人がいる」といったところ、突然怒り出したのです。
「そんな関係壊してやる」って。「お前と俺は運命共同体だ」ともいいました。>

さあ、大変です。

"味方"だったはずのあなたが、翻って"敵"だと見なされるようになったのです。

こういう場合、最初から"敵"である人物に対してより、一層恨みが深まります。

彼からすれば自分は、ひとたび信じ気を許した人物に
手ひどく"裏切られ"た"被害者"ということになります。

これまでの人生で自己のナルシシズムを否認されつづけたことにより、
鬱積されてきた恨みつらみが、ここぞとばかりあなたに傾注されます。

すなわち、つけまわし覗き見るという卑劣な手口で、
あなたを心理的に追い詰め、自分のゆがんだ欲望を満足させようとします。

これは「この俺を深く傷つけるような悪者」に
"正義の鉄槌"をくだすという大義名分
(自分のなかでしか整合性がないものですが)があるため、
自ら悪事に手を染めているという反省および自責の念は、
まったく欠落しています。

(しかし、社会的には容認されないことであるという自覚はしっかりあるので、
警察に捕まらないように周到な手口を用意しています。

本当は臆病者ですから、法で裁かれることを、ことのほか怖がっています。
そのため、「誰かにいうと大変なことになる」などと、あなたを脅すわけです。
結果として、このような振舞いで、より罪を深めることになるのですが)

それどころか、陶酔感さえ伴うので、
ストーキングがどんどんエスカレートしていく傾向があります。

(つづく)


熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
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『お前と俺は運命共同体だ!(2)』
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『お前と俺は運命共同体だ!(2)』

           ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(21-2)~

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A:<2;ナルシシズムの癒すためだけの他者>

このタイプは、生まれつきの資質、そして生育環境が相まって、
幼い頃の自己万能感をそのまま肥大化させてきたものと思われます。

通常は、大人になる過程で、有能な他者に遭遇し、
「自分はそれほど大したものではない」と悟るような
軽い挫折体験を繰り返し、
世の中で自己をどう折り合わせるか考えてゆきます。

しかし、その挫折体験が深すぎて、過剰な反発がめばえたか、
あるいは挫折体験を全く経ないで年を重ねてしまったか、のどちらかにより、
強固ではあるものの非常に脆いナルシシズムを作りあげてしまったのです。

このような人物の根拠のない自信ほど、手に負えないものはありません。

これまで、自己に対する強烈なナルシシズムを
撒き散らしてきている訳ですから、当然のことながら、
まわりから"鼻つまみ者"という扱いを受けてきたはずです。

その過程で、そのナルシシズムは深く傷つき、
そして社会に対する猜疑心は、とても強まってきています。

彼にとって他者は、自己の肥大化したナルシシズムを
癒すためだけに存在します。

そのため、他者というものを見る場合、
その人物が自分の"敵"(自分を受容しない"不届き者")であるか、
"味方"(自己満足のため利用できる"都合のいい奴")であるかに、
おのずと分ける習性があります。

自分の"敵"には恨みを向けるし、
"味方"は完全に支配し、徹底的に利用し尽くそうとします。

彼を優しく包み込もうとしてくれるような母性愛あふれる人物は、
利用・収奪の絶好のターゲットです。

(看護師は人助けが仕事という人々ですから、そういう意味で危険です)

またその支配の仕方は、言語を絶するほど執念深く陰湿です。

また、突然暴力を振るった直後に、泣いてひたすら謝るといったように、
一つひとつの言動に大きな"落差"があるのが特徴です。

相手に一触即発の危機感・恐怖感を持たせるのが、彼らの常套手段です。

(感情のおもむくまま振舞っているようにみせて、
実はその裏に"冷徹な悪意"が存在します)


(つづく)


熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
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『お前と俺は運命共同体だ!(1)』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

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『お前と俺は運命共同体だ!(1)』

           ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(21-1)~

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Q:21歳、看護師になりたての者です。

私は今、整形外科病棟にいますが、
24歳の男性患者さんのリハビリを担当していました。

この方は、自動車の運転中に正面衝突し、
たくさんの箇所の複雑骨折を負われたのです。

初めての担当患者さんでもあり、
してあげられることは何でもしてあげようと、とても頑張ったんです。

ある時、「Oさん(私のことです)、いる?」と
この患者さんに呼び出され、長い時間話を聞くことになりました。

実は5年間つきあった彼女にふられ、
やけを起こして車で突っ込んだ、というのです。

なんだかとてもかわいそうになり、手を握ってあげました。

そして、私の携帯電話番号を教えてあげたのです。

それ以来、病棟からよく電話がかかってくるようになりました。

患者さんはよく「この話、内緒にしておいてくださいね」というので、
誰にも言わないでずっと過ごしてきました。

6ヶ月経ち、ようやく退院の日を迎えたのですが、その日の夜、
「つきあってほしい」と告白されてしまったのです。

そこで「他に好きな人がいる」といったところ、突然怒り出したのです。

「そんな関係壊してやる」って。

「お前と俺は運命共同体だ」ともいいました。

それから、いやがらせの日々がはじまりました。

繰り返しの無言電話、私の行動の観察日記
(どこかで見ているようなのです。でも私にはどこにいるのかわかりません)、
病院に血のついたカミソリを送られてきたこともあります。

「誰かに言うと大変なことになる」といわれているので、誰にもいえません。

そして外出するのが怖くてしようがなくなり、
病院にいくこともできなくなってしまいました。

いつも見張られている、聞き耳をたてられている、そんな感じです。

これからどうしたらいいのかわからないのです。

どうかアドバイスをください。



A:<1;ストーカー、"妄想型"と"自己愛型">


これは、いわゆるストーカーです。

ストーカーには、大きく分けて2タイプあります。

ひとつは"妄想型"、そしてもうひとつは
"自己愛型"とでもいうべきものです。

前者は、パラノイア(妄想症)という病名がつく場合もあります。

このタイプは、あなたと特別な関係があるという妄想
(例えば、「あなたが俺のことを好きでしょうがないから、
あなたと付き合ってやらなくてはならない」と思い込む、など)
に基づき行動するので、
見境いのない言動に出ることが多いです。
そのため、警察に捕まるのも早いです。
しかし、何度警察に捕まっても、
性懲りもなく同様の行動を繰り返すのです。

すなわち、自らの言動の違法性に気づかないのが特徴です。

それに対し、後者はいわば"究極のジコチュウ"で、
宇宙は自分を中心に回っていると疑わないタイプです。

あなたの関わったこの人物は、後者のタイプです。
もう少し詳しく探ってみましょう。


(つづく)

熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
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『テニスできないなら死んでも一緒(3)』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

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『テニスできないなら死んでも一緒(3)』

~「精神科薬物の「官能的評価」~感じるまま薬を語ろう!」(臨時1-3)~

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A:<3;ナルシシズムをもってナルシシズムを制す>


そして出た結論。

それが別れるということであっても、そうでなくても、
あなたがこれ以上いらだたなくてすむ、とっておきの方法を教えましょう。


[別れたくない場合]

「やっぱり俺は何やらせてもあかんねん・・・」

「そんなことないわ。
あなたはまだ本当の自分の才能がどこにあるか、知らないだけ」

「こんなダメな俺をしかってほしい」

「こんなことあなたに言わせてしまうなんて、私はなんてダメな女なの」

「もうこの先、長くないかもしれん。
脳腫瘍できてるし、記憶も飛ぶんや」

「私があなたを決して死なせはしないわ」


[別れたい場合]

「やっぱり経営学部の方がよかった」

「あなたの人生の選択で、力になれなかった私ってダメな女・・」

「おまえやまわりに、それが逃げやと言われるなら、逃げてもいい」

「あなたの人生だもの。あなたの行きたいところへ行くべきよ」

「このまま、好きなテニスだけして死にたい」

「あなたが死ぬのを見届けるなんて、私耐えられない。
あなたの知らないどこか遠いところへ行くわ・・
(と、フェードアウト)」


毒をもって毒を制す。

ナルシシズムをもってナルシシズムを制す。

名付けて、「ナルシストごっこ」。

悲劇のヒーローとヒロインが、自らの不幸ぶり・ダメっぷりを競い合う。

(この方法で一緒に"遊べる"なら、彼にはまだ見込みがあります。

でも延々続いていきそうなら、あなたの飽きたときがやめどきです)

彼に対抗するには、これしかありません!

どうぞ恋愛を楽しんでください!


(おわり)

熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
臨床感覚の広場のサイト:http://www.dr-kumaki.com/

『テニスできないなら死んでも一緒(2)』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

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『テニスできないなら死んでも一緒(2)』

~「精神科薬物の「官能的評価」~感じるまま薬を語ろう!」(臨時1-2)~

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A:<2;つきあうことの損得を考える>


ただ、ひとつ分からないことがあります。

<やっぱり彼のことを好き>とあなたが言われる理由です。

残念ながら彼の魅力が、私を含めた読者
(全員であるかどうかは分かりませんが)
にはピンとこないのです。

そこで提案。

1-(1)なぜ彼を好きになったのか
    (彼の外見や態度における長所について)

 -(2)なぜ彼を好きになったのか
    (あなたの内発的な事情について)

2-(1)なぜこんなになっても、今も彼が好きなのか
    (彼の外見や態度における長所について)

 -(2)なぜこんなになっても、今も彼が好きなのか
    (あなたの内発的な事情について)

を思いつくままに書き上げてみてください。例えば・・

1-(1)硬式テニスの県内大会の決勝を見にいったとき、
    彼の打ち込んだファーストサービスが強烈だった。

 -(2)前の彼と別れたばかりで傷心の私は、
    このファーストサービスで、こころを打ち抜かれた。

2-(1)「俺はダメだ」を連発する彼の打ちひしがれ方は、
    何かにおびえる子うさぎのよう。

 -(2)なんだかかわいそう。
    彼を私の力で立ち直らせられたら、
    今までよりもっとお互いの愛が深められるだろうに・・

という具合です。

もし、2-(1)・(2)がまるで思いつかないという場合、
あなたは無理に彼を好きでいようと努めているだけ、
ということになりますから、別れに迷いはいりません。

では、2-(1)・(2)がキチンと書き出せた場合。

3 なぜ今後あなたの付き合うべき相手が、他ならぬ彼でなければならないか

についても、考えてみてください。

この思考検証の際、あえて彼とつきあうことの
"損得"(メリット・デメリット)を考えてみてください。

"そんなこといっては、みもふたもない"と思われるかもしれませんが、
善悪良否だけでものを考えて膠着してしまったときに、
それをほどくには、このような方法しかありません。


(つづく)

熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
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『テニスできないなら死んでも一緒(1)』
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『テニスできないなら死んでも一緒(1)』

~「精神科薬物の「官能的評価」~感じるまま薬を語ろう!」(臨時1-1)~

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Q:彼氏のことで相談します。

私の彼氏は、関西の某国立大学経済学部の2年生です。
(ちなみに私は、彼より一つ年上で、別の大学の理工学部3年生です。)
中学から硬式テニスに熱を入れていて、高校ではキャプテンまで務めました。
大会等でもいい成績を残し、勉強の成績も上のクラスでした。

その時はみんなを見下しているような雰囲気で、
「自分は何でもできる!!」という
過剰な自信を持っていたように感じられました。

しかし、高校2年の時に「不整脈」と診断され、
"運動するな"と医者に言われてから自暴自棄になり、
「死ぬ」「もう俺はダメだ」などと言い出すようになりました。

とはいえ、一日寝たら忘れる性格なのか、考えないようにしているのか、
すぐに元気になり、遊びではありますがテニスもずるずる続け、
すんなり大学にも合格しました。

心臓の検査でひっかかるので、部活に入ることができなかった彼は、
その時趣味だったサッカーのサークルを立ち上げ、仲間を集め、
それなりに楽しんで活動しているようでした。

電話で「今日は○○に勝った、自分は何点いれた」などうれしそうに話すので、
これでやっと心のよりどころをみつけたか・・と思っていました。

しかし、1年の夏休み頃から
「海外に行きたい」
「やっぱり経営学部の方がよかった」
「やっぱり俺は何やらせてもあかんねん・・・」と言い出し、
私が励ましたり、替わりの案をだしても、
結局「心臓が悪いからできない」と言うようになりました。

「それって結局逃げてるだけやん。」と言うと、
「経済勉強してても何も役にたたない。
それが逃げやと言うなら俺は逃げててもいい」と言うので、
転部を薦めたんですが、
ずるずる手続きもしないまま期限が過ぎ、
結局経済学部のまま、2年生になりました。

2年生になり、だんだんごまかしでは単位が取れなくなってきて、
「授業にも出てないし、テストも受けてないから単位ヤバイ」
などと言い出しました。

前々から「留年したら別れる」と言ってあるので、
本当にテストを受けてないことはないだろう、と思ってました。

(実際成績表を見ても、ちゃんと単位をとっているし、良や可は多いけど、
優もそれなりにあった)

ここ1ヶ月の彼は
「俺は高校の時から勉強が嫌いやったけど、できるからやってきた。
頭のできもよかった。親の為もあった。でも、高校止まりや。
本当にこの頃勉強したことも頭に入らんし、内容も理解できない。
以前やったら分かるようなことも全くわからない。
単位がとれてる教科も、結局はカンニングしたやつやもん。

ちゃんと勉強して、完璧やと思ってても全くできない。
もうだめ。嫌な事はやりたくない。
テニスだけやりたい。
でもブランクが二年あるし、場所も相手になってくれる人もいない。

もうプロは無理。しかも心臓が悪いからもうすぐ死ぬ。

もう俺はこの世界から消える」というようなことを繰り返し言います。

「もう本当にやり残すことはないの??もう悔いは残らない?」と聞くと、

「もう何もない。テニスできないなら死んでも一緒」と言います。

「じゃあ、テニスして死ねばいいじゃん」と言うと、
また先に書いたように「する場所がない・する人がいない」の繰り返し。

すべてやる前に否定から入るので、私もカッとして、喧嘩口調になり、
そこで話し合い(?)は終わってしまいます。

しかも、この頃は「脳腫瘍ができてる」「本当に記憶が飛ぶ」ということも
言い出し、どうすればいいかわかりません。

一緒に病院行って、頭と心臓をちゃんと調べてみようと言ってみるんですが、
「結果を知るのが怖い」「俺は弱虫や」と言って行きたがりません。

精神病院なんてもっての他。

彼は根が真面目で小心者で、プライドが高く、自分の理想像を作りながら、
後で恥をかかないように伏線を張り、生活しているように見えます。

他人から「そんなことないよ」と言ってもらうために
自分を過小評価しているようにも見えます。

彼は以前「虚勢を張っていないと自分を保てない」とも言ってました。
彼の親は、彼に大変優しく、滅多に怒りません。
怒る対象としては、心臓に負担をかけることや、礼儀などについてくらいです。

しかし誕生日などに、サッカーウェアやスパイクを買ってあげていたりと、
やはり甘いです。
(ちなみに、彼の家庭と私の家庭では交流があり、とても仲がいいのです)

時々、会っているときに、
わざと私を怒らせて「もっと怒って」と言ってくるときもあるので、
もしかしたら「死ぬ」と言ってくるのも、怒られたいからなのかな、とも
考えるんですが、どうもそうではないようなのです。

今まで3ヶ月置きくらいに「死ぬ」と言ってきていたのが、
間隔が狭くなってきていて、私も彼に何て声をかければいいのか、
どうすればいいのか分からなくなりました。

何か彼を前向きにしたり元気にするような言葉をかけたり、
行動をしたいんですが、
すべて彼の上を素通りしている状態なのです。

心理学の本など見てはいるんですけど、
分かったような、結局何も分からないような感じになってしまい、
友人に相談しても、「何でそんな人と付き合ってんの?」
「早く別れたほうがいいよ」と言われ、参考になりません。

(別れるという選択もあるのですが、やっぱり彼のことを好きなので、
私が何とかしたいです)

自分の考えが間違っているのか、冷静に考えられているかも分からず
先生にメールで相談しました。

こんな彼にびしっと、
人生はそんな甘くないということを分からせるような
言葉や行動はないんでしょうか。

何かいいアドバイスをお願いします。



A:<1; 支えようとすると、甘えを助長>


ダメっぷりここに極まれり、というところです(笑)。

あなたは、<心理学の本など見てはいるんですけど、
分かったような、結局何も分からないような感じになってしまい>と
言われていますが、なんのなんの、とても正確に彼のことを把握されています。

<彼は根が真面目で小心者で、プライドが高く、自分の理想像を作りながら、
後で恥をかかないように伏線を張り、生活しているように見えます。

他人から「そんなことないよ」と言ってもらうために
自分を過小評価しているようにも見えます。>

ということですが、その通りだと思います。

「留年したら別れる」とか
「じゃあ、テニスして死ねばいいじゃん」とか
ちゃんと釘をさすことも忘れていません。

しかし、そのような厳しい言葉からも
回避するルートが周到に用意されており、
結局"ぬかに釘"で、終わってしまっています。


<友人に相談しても、「何でそんな人と付き合ってんの?」
「早く別れたほうがいいよ」と言われ、参考になりません。

(別れるという選択もあるのですが、やっぱり彼のことを好きなので、
私が何とかしたいです)>

私も別れるのが一番だと思います。
(あなたは彼から離れていかないだろうということが、
彼にはどうやら分かっているようです。
それが甘えを助長させていることは、否めないと思います。

一人前の男(になるかどうか分かりませんが)にするためには、
別れるのがベストな選択だというのは、そういうことです。

ただし、別の女性が登場してきて、
彼をまた甘やかしてしまうかもしれませんが)

でも、あなたが別れたくないのですから、仕方ありません。

あるいは、別れないまでも放っておけばいいと思いますが、

<こんな彼にびしっと、
人生はそんな甘くないということを分からせるような
言葉や行動はないんでしょうか。>

ということですので、
彼におせっかいをやきながら付き合う方法を考えねばなりません。


(つづく)

熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
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『クローゼットから溢れる洋服(5)』
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『クローゼットから溢れる洋服(5)』

           ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(19-5)~

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A:<5;あなたは本気でこの現状を変えたいですか>


今後具体的にどうされるといいか、私の考えを述べましょう。

最初に"困りきれていない"印象と言ったのですが、
これは例えば、買い物が過ぎて借金をしまくり首が回らなくなるとか、
のんだくれて家人を殴り一家離散となるといった
"どん底"を見ていないということです。

"どん底"を見ると、どんなひどい嗜癖にも、ブレーキがかかります。

しかし、あなたは夫婦共働きで、
義父母からの生活支援も受けられている様子。

ある意味、このような恵まれた環境では、
嗜癖にブレーキがかかりにくいのです。

いろいろ心配してくれている御主人の優しさも、
ここでは"あだ"になっているかもしれません。

(もっとも、お互いに深く介入しあわないのが、
家庭内の暗黙のルールになっているのかもしれません。

もしくは、あなたや家族の現実に直面化することが、
彼にとって面倒なのか、あるいは怖いのか・・
ということもあるかもしれません)

<自分でも主人に何を話せば良いのかわからなくなってしまいました。>

これまでに"どん底"を見られていないのは、もちろんいいことです。

しかし今後、底なし沼へずぶずぶ入っていってしまう
危険もあることでしょう。

御主人があなたの諌め手となれない今、
第三者として精神科医に介入してもらうのが、いいかもしれません。

とりあえず、先述の行動療法の"契約"を
精神科医と交わすことをお奨めします。

(身内では手心が加えられてしまうので、"罰"がうまく機能しません)

この際、最も大切なことを言い添えておきます。

あなたは本気でこの現状を変えたいですか。

力強く"はい"と答えられないなら、どんな治療もうまくいかないでしょう。

本当に"懲りる"こと、そこまでいかなくても、
ひどい未来を想定して"それは絶対嫌だ"と感じられること、
治療はそこから始まります。
(そして同時に、問題の半分はクリアしたともいえます)

この治療の成否は、まさにあなたにかかっています。

そしてそのような外からの手を借りながら、
もう一度あなた自身が、ご家族やお仕事との関係を見直してみましょう。

膠着状態にあるように思えた様々なことがらが、
少しずつ動き出していることに気づくことでしょう。

精神科医の介入を提案しましたが、
一番大切で最後の最後に助けになるのは、やはりあなたの家族です。

今後の新しい展開に期待しています。


(補記:実は、嗜癖行動に対する精神科治療の導入については、
別の難しい問題があります。

買い物依存程度ならいいですが、
社会のモラルから大きく逸脱する人物
(たとえば、小児性愛がらみの犯罪者など)に
認知行動療法を奨めたりする発想には、
やはり問題があると思います。

行動療法自体の実践では、善悪良否の概念が棚上げにされています。

治療の前にまず本人のモラルを問い、
その言動の"矯正"が必要なケースもあることは、
留意しておくべきかもしれません)


(おわり)

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『クローゼットから溢れる洋服(4)』
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『クローゼットから溢れる洋服(4)』

           ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(19-4)~

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A:<4;ある程度の嗜癖は、誰にもある>

ところで嗜癖は、限られた人だけのものでしょうか。

おそらくそうではないと思います。

ある程度の嗜癖的行動・嗜癖の対象物は、誰にもあるでしょう。

ただそれが、社会生活を営めないほどのものであったり、
はなはだ有害なものである場合だけ、問題とされるのです。

しかし、嗜癖に陥りやすいタイプというのはあります。

1:快楽に身をゆだねることに躊躇なく、すぐ没入してしまう人

2:スリルを求め、それに酔いやすい人

3:何に関わっても極端で、バランスの悪い人

4:近視眼的で視野が狭く、チェックがかかりにくい人

5:どこか投げやりで、自我のコントロールを安直に放擲する人

6:実生活でのストレス処理が苦手で、日常空間から逃避する人

などが、それに当たります。

(では、極めてストイックな人はどうでしょう。
こういう人は、自分で制御できないものを極端に嫌います。

それで、ジョギングをしたり、滝に打たれたり。

快楽や欲におぼれないという意味においては、
嗜癖的ではないように見えますが、
これもやり過ぎるのは実は嗜癖です。

ランナーズハイなどは、
走りすぎると脳内麻薬のエンドルフィンが
放射されることによりおこる一種の快楽体験です。

ワーカホリック(仕事漬け)も、
苦痛であるような仕事でもやり過ぎると
嗜癖になるというものです。

何でも、やり過ぎ・入れ込み過ぎはまずい、ということです)

買い物依存がひどくなると、買い物をしている際に恍惚状態になり、
後でそのプロセスを覚えていないということが起こってきます。

(先に指摘した離人感とつながってくるところです)

また一般的に、嗜癖はうつ状態を並存させやすいということもいえます。

(特に、陶酔体験から現実に引き戻されたとき、
その落差からうつ状態が引き起こされる印象です)

またあなたの場合、
ワーカホリックという別の嗜癖もあるかもしれません。

(つづく)

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『クローゼットから溢れる洋服(3)』
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『クローゼットから溢れる洋服(3)』

           ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(19-3)~

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A:<3;条件反射のかたちを変える行動療法>


では、この人間の条件反射のかたちを変える
有効な手立てはないものでしょうか。

実はあるのです。行動療法がそれです。

これはいわば、"しつけ"療法です。

大雑把にいうなら、
嗜癖となっている体験Aを我慢できた場合、"賞"が与えられ、
体験Aを我慢できなかった場合、"罰"が下るシステムを、
治療者に設定してもらい、
それをきちんと履行する契約をするのです。

("賞罰"の設定にはもちろん、患者さんが主体的に関わります。
その人にとって"賞"となるもの、
"罰"となるものがそれぞれ違いますからね。
これが犬の場合と一番違うところです)

行動療法は、これまであった社会生活に
適応的でない有害な条件反射を、
別の社会適応的で害の少ない条件反射のかたちへ、
置き換える手法です。

もちろん、嗜癖の治療はこれだけではなく、
精神療法(例えば、認知療法)も有効ですが、
この行動療法的アプローチは避けて通れないものです。


(つづく)

熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
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           ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(19-2)~

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A:<2;嗜癖は、やや複雑な条件反射に過ぎない>


依存とは、最近は嗜癖という言葉で説明されることが多いです。

嗜癖とは、ある体験が特別な快楽をもたらした後、
その時の記憶が頭を離れず、その快楽を再度引き出すために、
その体験を繰り返そうとすることを指しています。

すなわち、自ら条件づけた快楽のかたちに"ハマって"いくことです。

1:アルコールやシンナー・覚せい剤、そして向精神薬の一部など、
物質がもたらすもの

2:買い物やギャンブルなど、そのプロセスがもたらすもの

3:恋愛・宗教など人間関係のあり方がもたらすもの、

などに大別できますが、いずれにせよ、
快楽が伴うものであれば、何だって癖づけられます。

(快楽の中枢は、脳幹部中脳にあるとされていますが、
実際に快楽のかたちを決定するのは、大脳だとされています)

心理学者の岸田秀氏が「人間は本能の壊れた動物だ」と
規定していますが、
これは「人間の言動は、大脳という高次脳に
規定されている部分が極めて多い」
と言い換えることができるでしょう。

大脳は、本能をゆがめ、
快楽のあり方に多くのバリエーションをもたらすのです。

ソビエト連邦(現ロシア)の生理学者パブロフが、
犬を使って行った有名な実験があります。

犬は食べ物を前にすると、よだれを流します。
しかし、ベルの音を聞いても、よだれは流しません。
そこで、食べ物を見せながらベルの音を聞かせてみると、
よだれを流します。

それを何度も繰り返した後、ベルの音だけ聞かせただけでも、
よだれを流すようになるというものです。

これにより、犬には条件反射が"学習"させられる
ということが証明されたのです。
犬が食べ物を前にしてよだれを流すのは、本能によります。
しかし、上のような"学習"過程を経て、
ベルの音を聞いただけで、よだれを流すようになったのは、
本能とは別に、快楽やそれに対しての
欲望を感じる回路が作られたことを意味します。

仮にあるレバーを引くと、ベルがなるような仕掛けを作っておきます。

ベルの音を聞くと気持ちがいい、と感じるようになった件の犬が、
ベルの音を聞きたくて自らレバーを引くことを繰り返すようになるなら、
(こんな利口な犬がいるかどうかは別として)これは嗜癖といえます。

すなわち、パチンコ台から激しく流れ出る玉の音を聞きたくて、
パチンコ台から離れられなくなる人は、この利口な犬と同じです。

そんなバカな!犬と一緒にするな!という人がいるかもしれません。

しかし、嗜癖というのはやや複雑な条件反射に過ぎなくて、
それほど高等な精神的営みとはいえないのです。

(裏を返せば、嗜癖は動物的本能に根差す部分が大きいため、
それを理性的に統御するのは難しいのです)


(つづく)

熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
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『クローゼットから溢れる洋服』1
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

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『クローゼットから溢れる洋服』

           ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(19-1)~

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Q:熊木先生、初めまして。

38歳女性で、3人の子供がいます。
昨年の5月あたりから、自分の感情がわからなくなり、
喜怒哀楽の区別ができなくなりました。

自分の周囲全てにフィルターがかかり、
子供達の成長すら他人事という感じです。
表情も乏しくなり、いつも「顔色が悪い、疲れているようだ」と
職場の同僚からも指摘されます。

現在パキシル(パロキセチン)40mgと
メイラックス(ロフラゼプ酸エチル)1mgを服用しております。

ここ数ヶ月間は特に買い物に走るようになり、
今まで手にしたこともない毛皮や宝石類・高級ブランド品を
ためらいもなく買うことが多くなりました。

服もクローゼットに一杯になってもまだ買ってしまう状態です。

経済と家庭の破綻をきたす前に、何とかやめたいと思いながらも、
銀座などに行き、目につくと殆ど衝動的に買ってしまいます。

職場で、外面だけは良くても下にはとても威圧的で
管理志向の強烈な人事査定権を持つ上司とあまりうまくいかないことや、
最近、10年間一緒に仕事をしてきてツーカーの仲だった先輩社員が
異動で離れ離れになったこと、
それに職場の同期の中で一番昇進が遅れていることも原因かもしれません。

家庭内では、同居している舅姑とは
朝の出掛けと帰宅時に挨拶をするだけです。

主人はいろいろ心配してくれるのですが、
お互い仕事と家事と育児に忙しく、
ゆっくり話したいと思っても思うに任せない状況です。

そんなことを繰り返すうちに、
自分でも主人に何を話せば良いのかわからなくなってしまいました。

自分の感情がいつも空虚な状態です。
最近「子育てをしながらしなやかに働く
女性先輩社員としてコメントを」と、
会社の研修で体験談をさせられることも多く、
表向きにできる話と現状とのギャップに自分でも戸惑っています。

週末は自宅でベッドに引きこもり、
家事や子供達の世話もやらなきゃという意識はあっても、
体が動かない状態です。

実家の母や姑が言うように、
これは私の「心の弱さ」と「甘え」ゆえなのでしょうか。




A:<1;いまひとつ"困りきれていない"印象>


いろいろ危うさはあるものの、
なんとかそれを渡ってこられているようですね。

いまひとつ"困りきれていない"印象です。

まず、精神科的に問題になることはいくつか挙げられます。

<表情も乏しくなり、いつも「顔色が悪い、疲れているようだ」と
職場の同僚からも指摘されます。>

<週末は自宅でベッドに引きこもり、
家事や子供達の世話もやらなきゃという意識はあっても、
体が動かない状態です。>

などは、うつ状態を示唆するものです。

<昨年の5月あたりから、自分の感情がわからなくなり、
喜怒哀楽の区別ができなくなりました。

自分の周囲全てにフィルターがかかり、
子供達の成長すら他人事という感じです。>

<自分の感情がいつも空虚な状態です。>

というのも、うつ状態の現れかもしれませんし、
また離人感といわれるものかもしれません。

(離人感は、"私は誰、ここはどこ"といった感覚で、
解離症状の軽いものを指して言います)

<ここ数ヶ月間は特に買い物に走るようになり、
今まで手にしたこともない毛皮や宝石類・高級ブランド品を
ためらいもなく買うことが多くなりました。

服もクローゼットに一杯になってもまだ買ってしまう状態です。

経済と家庭の破綻をきたす前に、何とかやめたいと思いながらも、
銀座などに行き、目につくと殆ど衝動的に買ってしまいます。>

の状況は、ご存知の通り、買い物依存といいます。

ここでは、買い物依存を軸として話を進めたいと思います。


(つづく)

熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
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あらかじめご了承いただきますよう、お願いいたします。

『生きているのか死んでいるのか、わからない』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

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『生きているのか死んでいるのか、わからない』

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Q:熊木先生、初めまして。

私は43歳の主婦です。

5年前に、理由もないのに涙が止まらなくなって、
総合病院の精神神経科を受診すると、抑うつ状態といわれました。

身体の検査もしましたが特に異常がなく、
アモキサン・デパスなどを処方されました。

そのころ、マスコミで軽度のうつ病のことがよくとりあげられて、
「心の風邪」とも言われていました。

当初私は、それらのTV放送や健康に関する雑誌などを読み、
薬をのんで休んでいれば、やがて風邪のように治るもの、と安心しました。

しかし、そうは簡単にはいかなかったのです。


まず私のこれまでの経歴についてお伝えします。

私は、地方の小さな都市で生まれました。

三人姉妹の長女で、両親は共働きでした。

何らかの理由で家には借金があったらしく、父も母も必死に働いていました。

両親の苦労はすごいもので、
また家族の誰かがいつも病気や事故に遭ったりして、入院などしていました。

母は私にいつも自分の辛い思いを話していました。

私は聞き役でした。

そのため、お金がないということがとても怖い大変なことなのだ、と
小さい頃から思っていました。

保育所に預けられていた私は、よく泣いていました。

小学校のころ、集団登校の途中に胸が苦しくなって座り込んでしまう、
ということが何度もありました。

病院で検査しましたが、原因はわかりませんでした。

高校進学直後、私はあまりいい成績ではありませんでした。

数学や理科が苦手で、だんだん授業がわからなくなりました。

そのため、2年生のとき睡眠時間を4時間くらいにして
自分で勉強し始めました。

精神的に緊張状態で、夜1時に寝ても、朝は5時に目がさめ、
それから7時くらいまで勉強して、登校するという期間もありました。

その結果成績は上がり、結局都会の私立大学へ進学しました。

そのころには家の経済状態もよくなり、
両親は私学へ行くことも許してくれました。

大学生活は初めての自炊・下宿生活で、何か開放されたような気分でした。

両親の希望は大学を卒業したら家に帰って就職する、というものでしたが、
私は家には帰らず、そのまま小さな会社に就職しました。

そしてわりと早く結婚しました。

会社を変わったりしましたが、ずっと働くつもりでした。

けれども事情があって、出産を期に会社をやめることにしました。

子どもが2人生まれてからはしばらく専業主婦の生活でしたが、
何か自分らしいことをしたいと思って、英語の勉強をはじめました。

やがてパートタイムで働くようになり、お金も少し余裕ができたので、
語学学校などに行くようになりました。

子育て・仕事・趣味の勉強と充実した毎日でした。

パートの仕事は工業部品の製作で、手先の器用さが要求される仕事でしたが、
私はわりと丁寧にするほうなので、上手だったと思います。

ですから、リストラとはいえ、突然解雇されたときは驚きました。

収入がなくなって、いろいろアルバイトなど探してやってみましたが、
続けられそうなものはありませんでした。

語学学校の友人が「英語にかかわる仕事を探してみたら」と勧めてくれました。

英語の世界は競争が激しく、
特に実務経験もない私には、仕事がまわってきそうにありませんでしたが、
トライアルなどを受けていると、
翻訳の下請けの下請けみたいな仕事が時々入るようになりました。

報酬は10日間で仕上げて1万円とかそんなものでしたが、
将来につながるかもしれないと思って引き受けていました。

しかし今から考えると、その当時の私の生活はモーレツなものでした。

非常に短い納期によるプレッシャーにさらされ続けていたのです。

涙が止まらなくなったのは、そんな仕事を断続的に2年ほど続けた後でした。


そして”事件”は、息子のバレエの発表会の後に起こりました。

発表会が何とか成功して裏方の母親としてほっとするのもつかの間、
英文を訳してくれないかという企業からの依頼がありました。

とても疲れていましたが、その仕事をすることにしました。

納期があるので、それに間に合わせるために夜も眠らず(眠れないのです)、
英文を読んでいました。

夫が異常を感じたときがいつかはわからないのですが、
気がついてみると、私は自動車の中(タクシーらしい)、
そして病院で、なぜか私は車椅子に乗せられました。

待っているときに、自分の昔の友だちや知人が待合室にいて、
私はその人たちに話しかけました。

でも皆迷惑そうな顔をしました。

診察室にある人体の図形に書いてある説明文など、
まわりに書いてある文字すべてが、アルファベットに見えました。

夫によると私はすごい力で抵抗したらしく、
夫の言うことをきかず、病院の外へ行こうとしたそうです。

その病院から精神科の専門病院へ行くときは、
病院の車(救急車?)で行きました。

私は車の中で暴れたことを少し覚えています。

着いたら、病院のドアが両開きに開いたこと、
そこから先の記憶はありません。

そこで医師に「一週間、家で様子を見てください」と言われた夫は、
私を連れて帰りました。


夫はここから先のことをあまり話したがりません。

思い出すのも辛いようなのです。

具体的には、まず私の顔が異常で、子供たちも怖がったそうです。

まるで死んだ人のようだったといいます。

それから私の行動がおかしく、家族が私に「ご飯を食べた?」ときくと、
「食べた」と答えたそうです。

しかし実際は食べてなくて、ぐったりしていたようです。

それから、私が勝手に外に出かけたりしたそうです。

夫は1週間会社を休んで私の介護をしてくれたのですが、
とても手におえない状態だったそうです。


でも私自身は全然怖くなかったです。

ただ、部屋が花でいっぱいだったので、
これは自分のお葬式かなと、ごく自然に思いました。

昼と夜との区別があまりなくて、部屋の窓の半分が暗かったり、
不思議なことがありました。

家からひとりで外へ出てみると、そっくりな2匹の犬がいて、
かわいいと思って撫でたりしました。

しかし実際には、近所にはそんな犬はいないのです。

おかしなことですが、その一週間というもの、
私はもうこの世にいる気がしなくて、
生きているのか死んでいるのかわからない感じでした。

よく眠ったり、夢を見たりもしたようですが、あまりわかりません。


一週間後、夫と一緒に病院へ行きました。

診察室に入るとまったくはじめて見る医師(現在の主治医です)が
「僕のこと覚えていますか」とききました。

私は首を横に振りました。

医師は私を見て、「この間のときよりはずいぶんよくなりましたね」といい、
もう少し何か話して、薬を処方しました。

それは、朝、ルジオミールとデパス、
夜、ルジオミール・デパス・ヒルナミンというものでした。

これが4年前の一週間の状況です。

医師の説明は「これはいわゆる精神病ではなく、一過性の解離状態である」
というものでした。(そして病名は「解離ヒステリー」でした)

その後もう一度この状況に近いような精神状態になりました。

でもそのときは、異常だという自覚が自分でも少しあり、
これほどひどい状況にはならずにすみました。


それから今日に至る4年間に、激しい抑うつ状態・自殺願望があり、
眠れない時期もありました。

字を書こうとすると、手が震えたりもしました。

処方されている薬は、4年前とそれほど変わっていません。

この4年間に何とか仕事ができないかとやってみましたが、
結局続かず、やめざるをえませんでした。


私はずっと自分がうつ病だと思っていました。

ですから、薬と休養によって治っていくと思っていました。

しかし、今にいたるまで、抑うつ状態は軽くなったものの、
相変わらず家事をすることも困難で、体がだるく、寝たり起きたりの生活です。

激しく泣いたりするような精神的にひどい状態が薄らいだ分、
気力がなく体が思うように動かず、寝ていることが多くなりました。

友人から「会いませんか」と誘われたりしますが、
人と会って話をするととても疲れるので、だんだん人とも会わなくなりました。

今はあまり楽しみもありません。

うつ病についてはいろんな説があり、戸惑います。

このまま病院へ通い続け、薬を服み続ければ、
よくなるだろうとも思えなくなりました。

薬はきちんと服んでいますが、服んだから効いているいう自覚はありません。

主治医はいつも「症状には揺れがあり、波がありますから」というだけです。

これって難治性のうつ病にあたるのでしょうか。

辛いのは、日常のあたりまえのような家事さえなかなかできないこと。

そして、好きだった英語がもう苦痛になってきたことです。

生きがいといえるほどの趣味だったのに。

それに、現在の自分の状況がどんな病気のどの段階なのか、
わからなくなって困っています。

しかし上の息子は、私が病気になったことをわりと冷静に見ています。

彼は、以前のような元気な私に再び戻ったら困る、と言うのです。

なんとなく、彼の言うことがわかるような気がします。

とはいえ私は、今のままの状態だと苦しいのです。

回復するということが、元の自分の状態に戻るということではない、
とは自覚しています。

この相談によって、何か回復への手がかりのようなものを
見出したいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。




A:あなたの精神状態の推移が、非常に精緻に記載されていて、
妙な言い方ですが、とても貴重な記録だと感じました。

<これって難治性のうつ病にあたるのでしょうか。>

<現在の自分の状況がどんな病気のどの段階なのか、
わからなくなって困っています。>

ということですので、今回は診断にこだわってみたいと思います。


<2年生のとき睡眠時間を4時間くらいにして
自分で勉強し始めました。

精神的に緊張状態で、夜1時に寝ても、朝は5時に目がさめ、
それから7時くらいまで勉強して、登校するという期間もありました。>

<英語の世界は競争が激しく、
特に実務経験もない私には、仕事がまわってきそうにありませんでしたが、
トライアルなどを受けていると、
翻訳の下請けの下請けみたいな仕事が時々入るようになりました。

報酬は10日間で仕上げて1万円とかそんなものでしたが、
将来につながるかもしれないと思って引き受けていました。

しかし今から考えると、その当時の私の生活はモーレツなものでした。

非常に短い納期によるプレッシャーにさらされ続けていたのです。>

<発表会が何とか成功して裏方の母親としてほっとするのもつかの間、
英文を訳してくれないかという企業からの依頼がありました。

とても疲れていましたが、その仕事をすることにしました。

納期があるので、それに間に合わせるために夜も眠らず(眠れないのです)、
英文を読んでいました。>

ということから見ても、以前からあなたは、
自分を追い込むことが常態化していたようですね。

もちろん、実務能力がかなりあったため、
まわりもあなたに無理な仕事を依頼しつづけたのでしょう。

また実際に、これだけの密度の仕事を
こなしておられたことから考えても、
持続的に躁状態にあったという可能性も考えられます。

<上の息子は、私が病気になったことをわりと冷静に見ています。

彼は、以前のような元気な私に再び戻ったら困る、と言うのです。

なんとなく、彼の言うことがわかるような気がします。>

という記述が、それを示唆しているかもしれません。

(躁状態というのは、ただご本人が元気なだけならいいのですが、
大概まわりにいる人々も巻き込まれ、
”はた迷惑”であることが多いのです)

こんな状況で、”事件”は起きます。

<夫はここから先のことをあまり話したがりません。

思い出すのも辛いようなのです。

具体的には、まず私の顔が異常で、子供たちも怖がったそうです。

まるで死んだ人のようだったといいます。

それから私の行動がおかしく、家族が私に「ご飯を食べた?」ときくと、
「食べた」と答えたそうです。

しかし実際は食べてなくて、ぐったりしていたようです。

それから、私が勝手に外に出かけたりしたそうです。

夫は1週間会社を休んで私の介護をしてくれたのですが、
とても手におえない状態だったそうです。


でも私自身は全然怖くなかったです。

ただ、部屋が花でいっぱいだったので、
これは自分のお葬式かなと、ごく自然に思いました。

昼と夜との区別があまりなくて、部屋の窓の半分が暗かったり、
不思議なことがありました。

家からひとりで外へ出てみると、そっくりな2匹の犬がいて、
かわいいと思って撫でたりしました。

しかし実際には、近所にはそんな犬はいないのです。

おかしなことですが、その一週間というもの、
私はもうこの世にいる気がしなくて、
生きているのか死んでいるのかわからない感じでした。

よく眠ったり、夢を見たりもしたようですが、あまりわかりません。


一週間後、夫と一緒に病院へ行きました。

診察室に入るとまったくはじめて見る医師(現在の主治医です)が
「僕のこと覚えていますか」とききました。

私は首を横に振りました。>

これを指して、あなたの主治医は
”精神病ではなく、一過性の解離状態”だと説明し、
それは「解離ヒステリー」という疾患によるものだといった訳です。

ここで「解離ヒステリー」について説明することにしましょう。

「解離ヒステリー」を、弘文堂の『精神医学事典』で引いてみると、
次のような説明があります。

”解決困難な葛藤にさらされた場合、
それにまつわる観念や感情を関与しない精神の部分から切り離して、
過去の記憶・同一性と直接的感覚の統制に関する統合が
全面的あるいは部分的に失われることを、解離反応という。

そのような起こり方をした神経症は、
「解離ヒステリー」「解離性障害」などと呼ばれる。・・・”

”解離”という言葉は、もともと精神分析の用語です。

現在では、精神分析家でなくとも、広く用いられる言葉ですが、
”解離(反応)”について何かを語る場合、
その”解離”の成り立ちについて触れる必要があります。

というのも精神分析は、”こころの動き”(心的力動といいます)を
説明することを主眼とした立場だからです。

したがって、上記の説明で一番重要なのは、
”解決困難な葛藤にさらされた場合”というところです。

「解離ヒステリー」という診断がなされる場合、
このような”葛藤”の存在が、前提となっていなくてはなりません。

そして、この”葛藤”は無意識レベルのものとされるため、
簡単に抽出できる類のものではありません。

ところで、あなたの主治医の診断が
本当に「解離ヒステリー」だったとしたなら、
それには若干無理があるように思います。

というのも、あなたに会って1週間(それもたった2回目!)で、
あなたのうちに潜在する”葛藤”など分かろうはずもないからです。

(ただしこの「解離ヒステリー」が、
確定診断ではなく仮診断であるなら話は別です)

私がこのような状況であなたに会ったなら、
いきなり”解離状態”であるなどとは告げません。

こころの因果関係が定かではないこの状況では、
あなたのうちにどのような”葛藤”が秘められているか
(あるいは秘められていないか)、
全く見当がつかないからです。

そのかわりに、あなたの状態は「せん妄状態」であったろうとは言えそうです。

「せん妄状態」って何?

これも先に倣い、弘文堂の『精神医学事典』から引いてみましょう。

”軽度ないし中等度の意識混濁に
錯視・幻視・幻聴などの妄覚や異常行動が加わり、
特徴ある臨床像を呈する意識変容の代表的な形である。

認知機能が障害されるために、外界は夢幻様に変容して錯覚が起こり、
一方、表象は知覚的な性質をおび、実在するものと区別されない。

これらの錯覚や幻覚は現れては消え、あるいは夢のように展開し、
患者は夢幻的な世界に没入する。・・・”とあります。

この状態のとき、REM(急速眼球運動)と、
REM睡眠期(特異的に、REMが見られる睡眠期)と同様の脳波パタンが見られ、
また実際のREM睡眠期とは異なり、筋電図の消失を伴いません。

なんだかややこしいですが、簡単に説明すると、
通常夢見をするREM睡眠期(眼球は急速な動きがあるにもかかわらず、
体の筋肉は弛緩している状態)のような脳の状態でありながら、
筋肉が動くので、その夢見に従い、
体を動かしてしまう(すなわちこれが”異常行動”)という訳です。

「せん妄状態」の原因は実に様々で、特定できないことが多いです。

ただ通常はすみやかにかつ完全に回復し、
後に脳の器質的な障害を残しませんが、
(あなたの場合も、完全回復しているようです)
まれに残すこともあります。

この診断名のメリットは、その因果関係を同定しなくとも、
「せん妄状態」を”横断的に”把握すれば、
ただちに治療的関与が可能だということです。

ちなみに「せん妄状態」の治療には、
セルシンなどマイナートランキライザーや
セレネースなどメジャートランキライザーの筋肉注射
(場合によっては静脈注射)を用いることが一般的です。

(ただし、「せん妄状態」の元となる身体疾患がはっきりしている場合は、
当然その原疾患の治療も行われなければなりません)

ではあなたは、先に主治医に診断された「解離ヒステリー」
ではなかったと言い切れるのでしょうか。

残念ながらこれから何年たっても、
あなたは「解離ヒステリー」でなかったと断定することはできません。

あなたのこころのうちに、
いかなる”葛藤”もないとは判断できないからです。

それゆえ「解離ヒステリー」であるかもしれないとはいえても、
逆に絶対そうでないとはいえません。
(「解離ヒステリー」の非在は証明できない、ということです)

なかなか込み入った話ですね。

もし、あなたが「解離ヒステリー」である
という”仮説”が有効であるなら、それに基づいた長年の治療で
ある程度良くなっていなくてはなりません。

しかし実際には、そうはなっておらず、
”何か回復への手がかり”を求めて苦しんでおられます。

そういう意味では、あなたが「解離ヒステリー」であると想定しても、
あなたの実利に適っていかないのではないかと私は考えます。

ここでは、別の疾患である可能性を提示することにします。

最近あまり使われないのですが、
昔から、関西と中部あたりの精神科医を中心に使われる病名に
「非定型精神病」というものがあります。

私は、あなたがこれではないかと疑っております。

これもきっと聞きなれない病名でしょうから、
説明することにします。

もともと二大(内因性)精神病といわれるものに、
統合失調症(精神分裂病)と躁うつ病があります。

この二大精神病の双方の特質を備え、
どちらとも判別不能なものを指して、
「非定型精神病」と呼んでいたのです。
(「非定型精神病」ではさらに、
てんかんの特質も備わっているとされています)

1:「非定型精神病」が、統合失調症や躁うつ病などとは違う
独立した疾患だとする立場、
2:統合失調症・躁うつ病とてんかんが混合したものとする立場、
3:統合失調症・躁うつ病自体そもそも類型化することができないとし、
同様に「非定型精神病」も類型化できないとする立場、
の3つに分けることができますが、
まあこのあたりは、臨床実践的にはどうでもいいことでしょう。

この「非定型精神病」の特徴は、以下の通りです。

1:横断的にみた病像は、急性統合失調症であるが、

2:経過は躁うつ病に似て、周期的(あるいはエピソード的)であり、

3:ほぼ完全に寛解するもの

(発症は急激。
病像は、意識・情動・精神運動性の障害が支配的であり、
多彩な統合失調症様状態となる。
幻覚は感覚性優位で、妄想も流動的・非系統的。
[『精神医学事典』より])

(あなたの場合、周期的ではなくエピソード的(1回だけ)ですが、
情動の”波”や発動性の”浮き沈み”はあるようです。

またここでいう”寛解”とは、
”急性統合失調症”様状態を指していうのであって、
いまある”うつ”のようなものを指しているのではありません。

それから先程指摘した「せん妄状態」については、
”意識・情動・精神運動性の障害が支配的”とあることから、
「非定型精神病」の経過の中で見られたとしても、矛盾はありません。

また、現在の基調が”うつ”であったとしても、おかしくはありません)

どうです、あなたにある程度、当てはまるのではないでしょうか。

(仮に「非定型精神病」とした場合の薬物療法について。

ベースにリ-マスやテグレトールといった感情調整薬を使用します。

そこに抗うつ薬を適宜使用します。

ここではルジオミールが使われていますね。

それから再度、急性精神病状態になった場合は、
一時的にメジャートランキライザーを処方します。

すなわち私は、あなたが
感情調整薬を服用してみる余地があるかもしれない、
と考えてみたのです)

ただし、これだけの情報をあなたからいただいても、
あなたに直接お会いしてない私には
どうしても最終的な診断ができぬ”弱み”があります。

この疾患に関しては、”手触り”がとても重要なので、
ここでとりあえずの診断をお示しするのは、”冒険”になります。

ただ現在、あなたの治療は膠着状態にあるようですから、
それに一石を投ずるべく、あえて蛮勇を奮ってみたのです。

(”本メルマガの正確性、合法性および道徳性については、
補償いたしません”とあえて断っているのは(笑)、
時としてこのような”チャレンジ”も
このメルマガでする必要があろうと考えるからです)

あなたの今の主治医は、
それなりに筋道だった診断・治療をしてきているように思います。

「解離ヒステリー」という病名も
まったく見当はずれという訳ではないような気がします。

しかし、ここまでやってきてうまくいかなかったのですから、
新しい見立て・治療の可能性を求めてもいい
時期がきているようにも思います。

もしあなたの次の主治医が、前の主治医や私と違う診断を下しても、
あなたの苦しみを和らげてくれるなら、
あなたにとっての良医ということになります。

それから最後に一言。

<回復するということが、元の自分の状態に戻るということではない、
とは自覚しています。>
といわれていますが、これは卓見です。

なかなかこうは開き直れないものです。

”生きていくとは、元に巻戻すことではなく、
新たに別の境地に立ちつづけること”

これは患者さんだけにいえることではなく、
生きている人すべてに共通する普遍的真理です。

病気になると、このようなことを実感しやすくなります。

苦しみのなか、曲がりなりにも処世してこられたことが、
生きる知恵を生み出しているかもしれません。

すべてが人生の達人への道。
そう考えると、これまで病んできた人生も満更ではないかもしれません。



熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
臨床感覚の広場のサイト:http://www.dr-kumaki.com/

『私のなかにいる"陽子"』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

▼△▼----------------------------------------------------------------

『私のなかにいる"陽子"』
            ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(17)~

--------------- http://www.dr-kumaki.com ---------------------△▼△


Q:私は40歳の女性です。

最寄の市民病院で、精神科にかかっています。

障害があり施設に入っていましたが、
5歳の時、その施設で院長から性的虐待されました。

9歳の時、変質者にレイプ。

20歳で、旦那の借金の為、売春させられていました。

最後に不倫されたけれど、裁判で離婚は出来ませんでした。

そうして別居していた際、実家で父親からレイプされました。

行為のたび、父親はお金を置いていった。

死にたくてリスカしたけど、いまも生きてます。


いま一番困っているのは、私のなかにいる陽子という人格の事です。

彼女は男の人が平気。

テレクラでバイトして、禁止されていた男性との接触を持ってしまいました。

でも、記憶が戻ると普段の私です。

自分がどうして他人とホテルにいるのかが全く解りませんでした。

きっと旦那の借金の為に売春していたのと、
何かの関係があるのだろうと、無理やり納得しています。

旦那とは身体の関係が持てません、記憶がなくなってしまうのです。

泣き喚き、暴れて、怖いとだけ繰り返すそうです。

父親は不倫を繰り返す人だった。

その父親のしわ寄せで、母親にまで殴られていました。

いつもこんな感じでしたね。


14年前に旅行先で倒れたときには、「脳の海馬の部分に萎縮がある」と言われました。 

もう3年近く精神科で治療を受けていますが、何も変わりません。

陽子のこともよくわかりません。

そのような訳で、これからが不安で仕方ありません。

なにかアドバイスいただけませんか。お願いします。




A:これだけの壮絶な過去が、感情の抑揚なく語られていて、
逆にとてもいたましいです。

性的虐待・レイプと次々災難が降りかかる中で、
変わっていかざるをえなかったあなたのこころを考えると、
私も胸がつぶされるような思いです。

とはいえ、何かを語りださなくてはなりません。


もちろんのことながら、世の中の女性のすべてが、
あなたと同質の苦しみを抱えている訳ではありません。

成人にいたるまでに、痴漢に遭ったことはあっても、
レイプにまでは遭っていない女性がほとんどのはずです。

しかし、あなたのように再三に渡って性的被害にさらされる女性も、
一定数存在するのは事実です。

私自身診察室で、あなたの人生に酷似したケースに
これまで何度も遭遇したことがあります。

なぜあなたの前に、鬼畜のような男たちが次々に現れ、
あなたに毒牙をかけるのか。

それはどういう男たちなのか。

また、これから何に気づき何を心掛けると、
これ以上傷をこじらせずに生きていけるのか。

いっしょに考えてみましょう。


あなたの相談の中で、これまで関わった男性のパーソナリティについて
あまり触れられていませんが、レイプなどやらかす男には、
ある程度共通のパーソナリティが備わっているものです。

すなわち、極めて利己的で、建設的な対人関係をもつことに
まったく意味を感じないどころか、あえて相手を踏みにじろうとするタイプ、
または、相手の女性を心身ともに支配下におくことが快楽につながるタイプ、
さらには、タブーや法を犯すとスリルを感じ、
欲情するという一種の性倒錯などです。

これは、あなたも納得されるのではないでしょうか。


ところで、レイプは立派な犯罪です。

それゆえ、このような人物は逮捕されてしかるべきですが、
実際はそうならないことが多いです。

それは実証・告発が難しいことによります。

(昔、東陽一監督、田中裕子主演の『ザ・レイプ』という映画がありました。

これはレイプを受けた主人公が、裁判の過程で
二次的に心的外傷を押し広げられていくことを訴えたシリアスな映画です。

このような”二次被害”があるから、
被害女性は告発に尻込みをすることになります。

また後述しますが、
このような重大な被害を受けた女性は、自尊感情もいたく傷つけられるため、
「どうせ私なんか・・」と投げやりな状況に陥ってしまうこともあります。

これも告発を妨げる要因となるでしょう)

それに、あなたの場合にも当てはまりますが、
もっぱら近親相姦ばかりする人物については、
その行為が”家庭内の秘密ごと”として隠蔽されるきらいがあります。


それから、ひとつ別の角度から論じてみたいことがあります。

それは、女性が男性に見せる”隙”についてです。

こういう場で”隙”という言葉を出すと、
ただちに抗議するフェミニストがいるかもしれません。

「レイプされるのは、女性の側に落ち度があるとでもいいたいのか」と。

まあ待ってください(笑)。

男女の仲を力関係だけで解すると、視野が狭くなります。

ここでは”隙”という言葉を、女性の”弱さ””甘さ”といった
ネガティブなニュアンスだけにとらわれず、用いてみたいのです。

そもそも恋愛は、互いの感情の機微に触れ、
より近づき、こころを通わせたいとの思いから始まります。

互いの思いが流れだすためには、”隙”という思いが流れ込むための場が、
あらかじめ用意されていなくてはなりません。

適切な状況で、この”隙”をさりげなく示せる女性
(こう限定すると、また一部のフェミニストが・・)が、
恋愛上手といえるかもしれません。


人は成長の過程で、この”隙”のコントロールを身につけていきます。

”隙”のコントロールをするためには、
自分を信頼するこころ・相手を信頼するこころ、
そしてちょっぴりの遊びごころ・いたずらごころなどが必要です。

すなわち、安全感・信頼感をもてる環境でなくてはなりません。

しかし子供時代に、
自分を守ってくれるはずの親(あるいはその他の重要人物)から
突然の理不尽な怒りをぶつけられ、
死の恐怖にさらされるようなことがあったら、
突然押し倒され、貞操が危機にさらされるようなことがあったら・・。

先に示した様々な”こころ”が押し流されてしまいます。

訳もわからぬまま、安全感・信頼感を根こぎにされたとき、
人は無力感に襲われ、そして自尊感情が破壊されます。

特にこれが幼ければ幼いほど、より深刻な後遺症を残します。


あなたの一番の不幸は、何も訳のわからない5歳という年齢で、
性的虐待などという苛烈な現実に直面化させられたことでした。

ここから、人生の歯車が大きく狂ってゆきます。

自尊感情の瓦解したこのような状況では、
”隙”をコントロールすることなどほとんどできなくなります。

すなわち、守るべき自分というものを見失い、
無防備で”隙”だらけになることが多いのです。

以上のことから、あなたが度重なる性的被害を受けることに
なってしまった理由が説明できます。

レイプをする男は、常習者であることが多いです。

これは、ひとたび覚えたタブー侵犯の快楽に味を占め、
レイプを繰り返そうとする”レイプ嗜癖”とでもいえるような異常者です。

こういったレイプ魔は、女性の付け込める”隙”を
見つけることにかけては天才的です。

そして被害女性は、被害を受けるたびにさらに”ガード”が下がり、
また被害を受けやすくなるという悪循環が作られていきます。

まるで、ノーガードで打たれつづけ、
棒立ちになってしまったボクサーのように。


この過酷な現実に目を背けることができなくなると、人はどうなるか。

「こんなひどい目にあっているのは、私であるはずがない」
と自己の現状を否認するようなこころの働きから、
記憶の断絶がおこるようになります。

直視できない記憶は、無意識の闇に封じ込められてしまうのです。

これを「解離」と呼んでいます。

「解離」は幼少期、何らかの心的外傷を受けたときに始まり、
その後外傷体験が繰り返されることにより、習慣化することが多いようです。

(「脳の海馬の部分に萎縮がある」と指摘されたようですが、
これは最近の脳科学的研究で、「解離」のある人に顕著な特徴として、
クローズアップされてきています。

海馬は、記憶を司る場所です。

すなわち、度重なる心的外傷が、
脳の一部に変質をおこす可能性が示唆されているのです。

聞けばなるほど、ですが、これは驚くべきことです)

そして、無意識の闇に封じ込まれた記憶が、
別の心的世界を形成するようになると、別の人格が発生します。

これが、二重人格(複数の人格が生じるものを総称して、
多重人格といいます)です。

そしてこれが、あなたのなかにいる陽子です。

(今のところ、あなたは陽子の存在に気づきだしていますが、
陽子はあなたのことを知らないようですね)

陽子は男の人が平気だということですが、
陽子がそのような役回りをしないと、
あなたは生きてこれなかったのでしょう。

旦那さんと関係を持とうとすると、
<泣き喚き、暴れて、怖いとだけ繰り返>すのは、
きっとあなたとも陽子とも違う別の子供の人格でしょう。

(一般に、人格の数はかぞえあげない方がいいとされています。

人格の分裂を促進し、三重・四重・・とどんどん増えていくことが多いのです。

精神分析などのような探索的な治療をおこなう時に、特に注意が必要です)


さて、これからどうすればいいか、考えなくてはなりません。

最初にも述べたことですが、
これほどの衝撃的な外傷体験をあまりに淡淡と語るあなたの病態は、
激情がこころの奥深くに封じ込められているだろうことから、
かなり重いだろうと推測されます。

まず『心的外傷と回復』(ジュディス・L・ハーマン)をお読みになることを
お勧めします。

(ハーマンは、女性精神科医で、フェミニストでもあります。

彼女の政治的扇動により、トラウマ・PTSDの概念が拡張されすぎた、
”贋のトラウマ”が人工的に生み出される社会的土壌を作った
などの批判もありますが、
それでも、トラウマ・PTSDについて治療実践的立場から、
これほどしっかり論じきった書は他にありません。

回復の過程についても論及しており、
実際にPTSDに苦しむ人々にとって
非常に大きな力となる書であることは間違いありません。

『心的外傷と回復』だけ読むのはバランスが悪いと感じられるなら、
同じく中井久夫氏の訳書である
『PTSDの医療人類学』(アラン・ヤング)の併読をお勧めします。

PTSDを少しひいたところからクールに見つめるこの書により、
『心的外傷と回復』の主張の強さが、程よく”中和”されることでしょう)

ハーマンはその中で、自助グループの活用・
PTSD治療の専門家による援助の重要性を挙げています。

私も、できればPTSD治療を専門に行っている施設に
かかられることをお勧めします。

専門的治療プログラムをもたない施設では、
治療は不可能に近いと思います。

それから、治療の過程で心掛けるとよいだろうことを列記します。

1:信頼できる同性の友人をつくること。

2:あなたを誘惑し、あなたを都合よく利用し搾取しよう
とする男性とは距離をおくこと。

(このような人物に触れるたびに、あなたの傷が深まります。

ただ現時点では、これは難しいことかもしれません。

それは、陽子がいるためです)

3:自分の秘密は、自分を守ってくれる人にだけ明かすようにすること。

4:生活の”連続性”を取り戻す工夫をすること。

(ささいなことで構いません。

具体的には、日記をつけたり、植木の手入れを続けたりといったことです)


ところで、リスカはまだ続いているのでしょうか。

私は職業柄、無残なリスカ痕を見ることがままありますが、
それ自体を面接の場で問題にすることは、あまりありません。

でも、治療過程で時々チラリと見ています。

あれは、こころの傷の象徴的な表現だと思っています。

傷あとの上にさらに幾重にも刻み付けられた傷は、
ただれにただれ一生癒えぬかのようです。

しかしやがて、長い治療過程で厚いかさぶたができ、
こんもり肉芽におおわれてくるようになります。

残念ながら、あなたの人生は何もなかった昔には巻戻せません。

でも、腕の傷が新しい肉芽でおおわれ、たくましく蘇るのと並行して、
あなたご自身の”新生”の日がきっとくる、と信じています。



熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
臨床感覚の広場のサイト:http://www.dr-kumaki.com/

『精神病になったら一生治らないなんて!』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

▼△▼----------------------------------------------------------------
『精神病になったら一生治らないなんて!』
            ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(16)~

--------------- http://www.dr-kumaki.com ---------------------△▼△


Q:私は39歳になる女性です。

昨年まで病院で約15年間、臨床検査技師として勤めてきました。

生理検査担当で、循環器を専門としていました。

(現在は退職し、ひとりで母の在宅介護をしています)

今の主治医からは、不安神経症とうつ病との診断を下されていますが、
うつ病という疾患名には疑問を感じています。

不眠がひどく、これまでに約10年間、
合計6人の精神科医・心療内科医にかかっているのですが、
薬が増えてゆくばかりで、一向に治りそうにありません。

まるで人体実験されているみたいです。

担当医が代わるたびに、睡眠薬が替わっていきます。

これまでに、ベンゾジアゼピン系睡眠薬だけでも10種類近く試されており、
その他、ブロバリンやベゲタミンBまで服んでいます。

これらの長期服用にとても不安を感じます。

(母は統合失調症なのですが、緑内障も発症し、失明寸前までいきました。

これは抗精神病薬の影響もあったと思われます。

また私自身、以前2回も薬物性のショック状態になったことがあり、
薬物の作用・副作用にはとても神経質になっています)

今の主治医は65歳の老先生で、これまで3年ほどかかっています。

カーテンでしきっただけの診察室、ほとんど話もきかず薬を出すだけ、
「薬を替えてほしい」といおうものなら、
「薬は医者に任せておけばいいんじゃ」とカルテを投げつけられる始末。

でも他にかかるクリニックが近辺にはないので、
我慢して薬だけもらいにいっています。

現在の処方薬は、パキシル30mgとドラール20mgですが、
夜に不安がありなかなか寝付かれず、昼夜逆転状態です。

このところメニエール氏病と高度難聴にも苦しんでいます。

補聴器を使用してから10年にもなるのに、
いまだに難聴というハンディを受け入れられずにいます。

これまでコツコツ努力を積み重ねてきました
(15年間病院勤めしかしていません)が、
社会というのはこのような努力が実らないことが多いです。

とはいえ、患者さんからのお礼・励ましが嬉しくて、
なんとかこれまで頑張ってこれたのです。

一方で、この先第二の人生を見つけていかなくてはと焦る気持ちもあります。

ところで、以前かかっていた医師に
「あなたのように精神病になったら一生治らないんです。覚えておいてください」
といわれたことが、ずっとこころにひっかかっています。

本当に治らないのでしょうか。

難聴はあるけれども、この精神状態が治りさえすれば、
頑張ってゆけそうな気がするのです。

これから私は、どうすればいいのでしょうか。



 A:今回は、少し違う見方をしてみたいと思います。

あなたの疾患はどのようなもので、今後どうされるとよいかを検討する前に、
これまであなたに向き合ってきた精神科医たちの思惑はどうであったのか、
いろいろ推理を交えて、考えてみることにしましょう。

<今の主治医からは、不安神経症とうつ病との診断を下されていますが、
うつ病という疾患名には疑問を感じています>とあります。

まず診断についてですが、
一般に精神科で患者さんに伝えられる診断名は、
それほど数多くはありません。

もっとも、各種の精神医学事典や操作的診断基準
(代表的なものは、アメリカ精神医学会の精神疾患診断マニュアル
であるDSM)などには、大変多くの疾患名があるのですが、
実際臨床の現場で、精神科医から患者さんに伝達される疾患名は、
たかだか20種類ぐらいのものでしょう。

その理由として、凝った診断をつけると
患者さんに特別な説明をしなくてはならないということ、
また精神科では診断が直接治療に結びつかないことが非常に多い
(いわゆる”疾患名治療”があまり有効ではない)から
診断を告知することがあまり重要だと考えられていないということ、
などが挙げられます。

(診断書などに書く疾患名はもっと少なくなります。

というのも、精神科医がこだわってつけたところで、
会社や公的機関は困惑するだけですので、
一般的で通りのよい疾患名を用いるのです)

”うつ病”という疾患名は大変重宝で、非常に広範囲に使われています。

一過性にでもうつが見られたら、
”うつ病”または”抑うつ状態”などの疾患名(症状名)が
告げられることが多いようです。

(”うつ病”と”抑うつ状態”はよく混同されますが、
厳密には同じではありません。

かつて”うつ病”とは、その経過の途中でうつが主症状として出現し、
特有の経過を有するものを指していました。

すなわち、うつを主症状とする内因性精神病に限定していました。

しかし今は、因果関係を問わず、
うつを中心に様々な症状を呈する症候群を”大うつ病”(DSM-IV)
として括りだすようになり、
この”大うつ病”を指して、”うつ病”ということが多いようです。

それに対して、”抑うつ状態”は疾患名ではなく、症状名です。

いわば、うつのことですが、
このような症状を呈する疾患は”うつ病”だけではありません。

例を挙げるなら、摂食障害や強迫性障害などは
”うつ病”ではありませんが、
”抑うつ状態”を呈することはありうるのです。

精神科医のなかでも、このようなことに深い関心を寄せる医師、
あまり関心のない医師などいろいろです。

このあたりの話はややこしく、
今回の相談を考えるにあたって、それほど重要な話ではありませんので、
あっさり聞き流しておいて構いません)

ここに登場する精神科医たちも、
あなたの疾患名にそれほどのこだわっていないように、
私には感じられます。

すなわち不安神経症にせよ、うつ病にせよ、
それほど思い入れのある疾患名ではない、ということになります。

(ちなみに私は、今回のご相談内容だけで、
あなたの診断をつけることができません。

診断をつけるには情報が十分ではないからです)

次に
<不眠がひどく、これまでに約10年間、
合計6人の精神科医・心療内科医にかかっているのですが、
薬が増えてゆくばかりで、一向に治りそうにありません。

まるで人体実験されているみたいです。

担当医が代わるたびに、睡眠薬が替わっていきます>
とありますが、
薬を増やしていく医師の気持ちを考えてみます。

まずあなたは、”人体実験”という表現を使われていますが、
これは穏当ではありません。

というのも、どこか隔離収容施設などで誰かの監視のもと、
強制的に服用させられるのであれば、
このような表現が可能かもしれませんが、
外来通院を中心とする治療環境では、
あらかじめ患者さんの側に”服薬を拒む権利”があるはずだからです。

あるいは不承不承服んだとしても、自分の身体に合わなければ、
担当医に”苦情を申し立てる権利”だってあるのです。

この場合、”しっかり眠りたい”というニーズがあなたにあり、
精神科医もそれに応じようとして投薬しているわけですから、
その行いに悪意はないと考えるべきでしょう。

では一般にどのような時に、
精神科医は変薬したり増薬したりするのでしょうか。

二つの場合が考えられます。

1:非常に熱心に治療に取り組もうとしているとき

2:治療に対し意欲的になれず、投げやりなとき

1の場合。

患者さんの事細かな訴えに耳を傾け、
何とかしてあげようとする医師は、
細かなさじ加減を行い、結果処方薬が次第に増えていくことが多いです。

この場合、医師は患者さんに対し好意的で、
惻隠の情をうちに秘めていることが多いようです。

2の場合。

あまりに患者さんが多愁訴(ウラの取れない訴えが次から次に出てくる)
で、愛想尽かしているような場合に、
その訴えを捻りつぶすように投げやりな投与が行われる傾向があるようです。

この場合、いうまでもありませんが、
医師は患者さんに好意的ではありません。

”2のような医師の態度は、道義的に正しくない”という意見も
あることでしょう。

ただここで、医師を道義的に責め立てても、
おのずと出てくる好悪の感情はどうにもなりませんので、
そこはとりあえず措いておきます。

ただ1にせよ2にせよ、
精神科医が今どのような心理状態にあるのか考えておくことは、
治療を受ける側にとっても、
重要なことであるかもしれないと私は考えます。

(もちろん治療する医師も、
そのような自らの意識に気づいておこうとすることは重要です)

2であると悟った場合、
転院するなどして思い切って担当医を替えるのが得策ですが、
むしろ対応が難しいのは1の場合です。

この場合、医師と患者さんがお互いを思いやるあまり、
治療関係がずるずる継続していき収拾がつかなくなります。

患者さんの側から断るのはなかなか難しいので、
医師の側から治療終結宣言(すなわちこの場合、敗北宣言)が
出されなくてはいけません。

このことは患者さんというよりむしろ、
医師にとって重要な課題なのですが、
とりあえずこのような治療関係の”こじれ”を防ぐために、
あらかじめ患者さんが心がけておくといいことをお話します。

”私に任せれば大丈夫。○○ヵ月で治してみせます”などという
医師に出会ったら要注意。

治療がこじれても、引っ込みがつかなくなり、
医師の側から治療終結を宣言することができなくて、
最終的に患者さんは深手を負ってしまいます。

”できるかどうかわかりませんが、善処します”
くらいからスタートする謙虚さをもった医師、
または何ができて何ができないか、それを明晰にしようと努める医師の方が、
先々自分の治療の限界を示す余地を残しているという点で優れています。

治療は山登りに似ているのではないか、と思います。

いずれも、”着手は易し、撤退は難し”だからです。

うまくゆかず撤退を余儀なくされたときにこそ、
その医師の真価が問われるのです。

話をあなたの場合に戻しますが、おそらくあなたから見て、
6人の医師はいずれも2の場合だと感じられたのではないでしょうか。

というのも、それぞれの医師に対し、
あなたが恩義に感じているふうではないからです。

一応、あなたの見方を尊重し、それに基づいた考察をしましょう。

医師がのっけから患者さんであるあなたに治療意欲を持てないのか、
逆にあなたと対しているうちに治療意欲が萎えていったのか、
どちらであるのか、にわかに判断することはできません。

<これらの長期服用にとても不安を感じます。

(母は統合失調症なのですが、緑内障も発症し、失明寸前までいきました。

これは抗精神病薬の影響もあったと思われます。

また私自身、以前2回も薬物性のショック状態になったことがあり、
薬物の作用・副作用にはとても神経質になっています)>

このようなあなたの不幸な過去が、
あなたの医師不信・処方薬不信のおおもとであるかもしれません。

そこで一点質問があります。

あなたの不信感の源であると想像される不幸な過去のできごとについて、
きちんと担当医に説明されていますか。

”~だったため、私は薬物に対しとりわけ警戒してしまう。
どうか、その点にも配慮してほしい”と。

なぜこのようなことをあなたに尋ねるのか。

というのは、先に患者さんからじきじきにこのような説明を受けていながら、
そこに由来する”服薬不安”を慮ろうともしない医師が存在することが、
私には信じられないからです。

(もっとも、その文脈はわかりませんが、
<「薬を替えてほしい」といおうものなら、
「薬は医者に任せておけばいいんじゃ」とカルテを投げつけられる>
医師が存在する、との証言をされている訳ですから、
例外はあるのかもしれません)

もし説明されていないのなら、これは必ず実行するべきです。

あなたのこれまで持ってきたこだわりや、
あなたの求める治療のかたちを伝えようとしないで、
それを医師に理解してもらおうとするのは無理があります。

医師は何でも見抜く魔法使いではありませんので、
この点について遠慮なく伝えていくことは、とても大切なことです。

しかし、このことをしっかり伝えたにもかかわらず、
あなたの気持ちを斟酌しないで、
服薬を強要する医師ならば、迷うことはありません。

彼はあなたにふさわしい医師ではないのですから、
早々に転院をお勧めします。

さらに<あなたのように精神病になったら一生治らないんです。
覚えておいてください>という医師の言葉と、
<本当に治らないのでしょうか>というあなたのご質問について。

この言葉自体、どのような文脈であれ、
発せられてはならない言葉だと思います。

そもそも、これだけ長期にわたりこじれてきたあなたの疾患を、
治る治らないの軸で判断するのは、不毛である気がします。

先に述べたように、私はあなたの病状を完全には把握しきれませんが、
あなたに対し、次のようなことはお話できそうです。

「治る治らないというのは、何をもって判断するかが非常に難しい。

仮に治ったと自覚できるようになっても、
残念ながらまた病状が再燃する可能性は否定できない。

あなたの疾患は慢性病の類で、
闘ったり克服したりという構えではなく、
お付き合いしていくという関わりかたの方が、
今後のあなたの人生に実りが多いように思う。

狭心症や糖尿病は生きている間じゅう薬物を要するが、
治療を続ければ、かろうじて暮らしていくことはできる。

それと同じと考えてはいかがか。

そう考えることができれば、随分気が楽になると思うが」

それにしても、どうしてこうも心通わない精神科医ばかり
登場するのでしょうか。

あなたの語る精神科医は、だれもかれもその顔や心が見えてきません。

私は不思議でなりません。

というのも、私が日頃接している精神科医・心療内科医のほとんど
(たかだか百人ほどですが、
特に選別してお付き合いしている訳ではありません)は、
もっと人情味のある人が多く、
あなたの接しておられる精神科医と
随分かけ離れた存在に思えるからです。

(ただし、私が精神科医療のインサイダーであるため、
欲目に見がちであるかもしれないこと、
私のような同業者へ見せる顔と、患者さんに見せる顔が異なる精神科医が
いるかもしれないことは、否定しきれません)

これには、二つの可能性が考えられます。

ひとつは、あなたがよほど運の悪い人で、
偶然非情な精神科医にばかり出くわしてしまうという可能性。

もうひとつは、あなたが対人関係でうまくいきにくい問題を
抱えておられる可能性です。

(両方折衷ということもありえます)

残念ながら、これまでのところ、
私にはどちらとも判じる決定打がありません。

(「なぜ?」と疑問に思われるかもしれません。

あなたから見れば、これまでの主治医が悪いのは自明なことでしょう。

でもやはり、私にはわからないのです)

しかしいずれにせよ、
今後とも延々続いていくかもしれない精神科医との関わりを
円滑にする必要はあろうと思います。

そのため、問題のありかを探る方法を考えました。

奇襲策ですが、とっておきの方法です。

今回のご相談の文章を、
そっくりそのまま新しい精神科医のもとへ持っていくのです。

ここにはあなたの正直な気持ち・これまでの苦労が
キチンと表現されているように思います。

ですから、普通の精神科医であるなら、
あなたの意を汲んでくれるのでないでしょうか。

そして、あなたの対人関係の持ち方に問題があるかどうかについても、
あなたの文章と実際の会話のギャップを較べることで、
しっかり吟味してくれるのではないでしょうか。

そしてほんのちょっぴり、あなたが勇気をお持ちなら、
あなたについてその精神科医がどのような印象を持っているか、
忌憚なき意見を聞いてみることをお奨めします。

そこから、ほどける何かがあるような気がしてなりません。

そしていい精神科医との”出会い”もきっとそこから始まります。

<このところメニエール氏病と高度難聴にも苦しんでいます。

補聴器を使用してから10年にもなるのに、
いまだに難聴というハンディを受け入れられずにいます。>

それに疾患のお母さんの在宅介護を、
ひとりで引き受けておられるのですから、
本当に大変だ、と思います。

私の直感ですが、
あなた自身の疾患や家庭の状況などさまざまな運命の受容、
そしてそこから発生してくる医師や処方薬との関わりの受容、
そのいずれもがうまくいっていないことが、
あなたの最大の不幸だろうと思います。

しかし、あなたはこうも言っています。

<難聴はあるけれども、この精神状態が治りさえすれば、
頑張ってゆけそうな気がするのです。>

過酷な運命にめげず、前に進もうとするあなたはとても立派です。

精神科医である私は、あなたが精神科医療の側からも
これまで以上に人生の推進力を得ていかれることを、
願わずにはいられません。



熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
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『死んでしまいたいくらい、寂しくて寂しくて』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

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『死んでしまいたいくらい、寂しくて寂しくて』
          ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(15)~

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Q:私は38歳の女性です。

私はもう長いこと、自分をどう生かして行ったらよいのかわからず、
もがき、苦しみ、それだけで疲れ果てているのです。

普通なら楽しいであろう場面でさえ、
内心では苦痛で逃げることばかり考えてしまうようです。

何事も中途半端で意志の弱い自分を、何とかしなければと
反省する気持ちも強いのですが、
立ち上がり焦って全力疾走してはまたつまずいて転ぶというようなことを、
今でも繰り返しています。

18歳までは、両親とふたりの妹の5人家族で暮らしました。

父親の仕事で、20回くらい地方を引っ越しました。

父親は、最近年を取って人当たりがよくなりましたが、
昔は仕事人間で子どもには怖い存在でした。

母親は、家事全般にだらしなく、浮気していた時期もあります。
父親のたびたびの転勤は、大学を出てないからだという不満を持っていました。
そのために、私たち子どもは、なにより学校の勉強が優先でした。

幼少時には、内面は幼いのに長女として大人扱いされていて、
期待に添うよう無理をして振舞っていたと思います。

転校も多く、周囲の関心を得ることばかりに心を砕き、
本当は自分がどうしたいのかわからなくなっているのは、
この頃から変わらないように思います。

はた目には不自由のない環境でもいつも寂しさを抱えていたことを、
今さら誰かのせいにするのはみっともないとわかっているのですが、
つまづくたびに当時を恨めしく思ったり、
これまでの自分のふがいなさを数えては、
乗り越えるどころか同じことで何度も自分を痛めつけてしまいます。

その後私は大学進学のため、18歳で上京してひとり暮らしをはじめました。
その後、妹たちもそれぞれ同様でした。

私は、実家を出ることが目的だったので
せっかく入った大学に間もなく興味が薄れ、
また経済的にも苦しかったので、
アルバイトで自分の居場所を見つけ(たと思い)、
その頃には2歳上の人と同棲もしました。

この人は親に捨てられ施設で育ったのち自立していた人で、
同年代の大学の男性に比べると、はるかに大人であると思えました。
私はこの人と暮らしている間、主婦のように家事をしていました。

この生活は先行きが不安になり、3年目に終わりました。

私は2年次で休学していた大学を中途退学し、
もとより好きだったデザインの勉強をしようと専門学校に入学し直しました。

同棲を解消することを条件に、親に費用を負担してもらいました。

2年後に専門学校を卒業し、就職したのは都内の中堅の不動産会社でした。
親への引け目からか、お給料の額と住居の心配がなさそう、
ということで決めました。

就職当時がバブルの最盛期で、初めは華やかなOL生活でしたが、
その後会社の業績が悪化するにつれ、社内の人間関係も荒れていき、
4年後に体調を崩して退社しました。

そのあと別な企業に就職し、2年半くらい勤めて結婚を理由に退社しました。

現在の夫は2歳上で、私の古い友人の、ご主人の古い友人ということで
知り合い、半年くらいつきあって結婚しました。
夫も両親と姉のいるサラリーマン家庭に育ち、私との結婚においては
何の障害もありませんでした。

結婚ののち、今度は夫の転勤で引っ越しを繰り返しました。
どうせ転勤があるから・・・という思いがあり、
正社員にはならず目についた間に合わせのパート勤務をする主婦でいました。

経済的には、夫が生活には充分な給料を得てくれていました。
財産はありませんが借金もなく、とても穏やかな暮らしでした。
このようにして5年間が経過しました。

結婚当初よりセックスレスでした
(あっても私には一時しのぎの安心や慰めになりそうで、
これは私の苦しみとは別のものと思っています)が、
子どもをどうしようかという年齢にもさしかかり、
何か日々、生きている実感がないことに寂しくて、
いろいろと思い詰めたあげく、
2年半前に家をとびだしひとり暮らしをはじめました。

これは、たまたまの人との出会いや偶然も重なったのですが、
自分を「生き直す」には最後のチャンスと思えるような偶然の流れに、
勢いで思い切って乗っかってみた、というような感じでもあり、
なにもかもやけくそですべて投げだし、ともかく逃げ出したい一心で、
ということでもありました。

もちろん別居は私からの一方的なもので、
親や夫の転勤に付き合うのではなく自分で選んだ場所で暮らし、
人任せの人生を変えたいから、とか、
女性の仕事としての子育てに代わるような一生続けられる仕事を見つけたいから、
などを理由にあげましたが、
本当は、真面目で優しい夫の結婚相手は私である必要はなかったとの思いにとらわれ、
申し訳なく息苦しい生活から逃げ出してきたのだと思います。

選んだ先は、身よりも知人もない、住むのも初めての関西圏でした。

ここで今、伝統工芸の仕事にどうにかありついて、なんとかひとり暮らしています。
ビンボーしていることが、唯一以前より、生きている実感があるかもしれません。

離婚届は、未完成のまま、話自体も棚上げになっています。

時々、主人は出張の途中で関西に立ち寄り、一緒に食事などしますが、
彼は私を責めるようなことはひと言も言いません。
でも、戻ってこいとも言いません。
彼は、私でなければだめだとも言いませんが、
他の女性と付き合う気持ちもなさそうです。

こういった状況・・・つまりは、私は私自身の意志でどんな生き方でもできる、
現に身内にも心配や迷惑をかけつつも今は、気ままなひとり暮らしをしている
というのに、先にも書きましたように、
まったく不安定な気持ちを抱えて少しも楽しめない日々を送っているのです。

「開いている自分」と「閉じている自分」という言い方がありますが、
まさに、開いている時の私は前向きで快活で人付き合いも仕事も順調で、
すべてのことに感謝の気持ちでいっぱいの日々を送りますが、
些細なきっかけで(それがわからないことも多いです)「閉じる」と、
全てを拒否して引きこもりに近い状態になります。

これが休養や充電の時期ととらえられればよいのですが、
その「閉じ方」がゼロで済まずにマイナスまで徹底的にすべて破壊してしまう
ような勢いなので、これを繰り返して一歩も成長できず、
何も身に付かずに年齢だけを重ねてしまっています。

本当は死んでしまいたいくらい寂しくて寂しくて、何にも集中ができません。
「閉じる」時の激しさに比べたら、
日常のこれが好きとかあれがしたいとか、思い続ける力が持続しません。

あやしい宗教でも何でもいい、迷わず信じ続けられるものがある人を
うらやましくも思います。

何か救われる道を探し求めていますが、
現状の自分ではダメなのがわかっているだけで、
この先の理想の自分というのも思いつきません。

これはやはり、自分だけの問題で、自分自身で納得して解決するべきの、
性格やクセのようなものなのでしょうか。
それとも、精神的な病気で、治療にかけられる種類のものなのでしょうか。

二人でも、一人になっても、どこでどうして暮らしていても、
不器用で寂しくてしかたのない私に、何か生きていくヒントはあるでしょうか。

いい大人になって甘えるなと強く叱って欲しい気もします。
いっそのこと「躁うつ」とか「分裂病」とかいうのでしょうか、
病名を付けられたら「治る」道もあるようで安心できるような気もします。

振り子のようにフレて落ち着かない自分にあきれ、ほとほと疲れ切ってしまいました。




A:あなたのこのご質問を読んで、
私がまず最初に思い浮かべたのは、太宰治『人間失格』です。

この小説は、現在あまり読まれないかもしれませんが、
私はまわりの友人に奨められ、中学1年生のときに手に取りました。

次のような有名な文章で始まります。

<恥の多い生涯を送って来ました。
 自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。>

葉蔵という名家出身の美貌の少年が、
次第に崩れ行く自らの人生のさま
(自己韜晦し、女を渡り、自分もそして自分に関わる人々をも貶め、
やがて彼自身のいう”狂人”となりゆくその過程)を、
極めて自虐的に告白してゆくような体裁で綴られています。

そして最後の文章は次のようなものです。

<いまは自分には、幸福も不幸もありません。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、
 たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分はことし、二十七になります。
 白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。>

太宰の『人間失格』との類比はともかく(次第に明らかになります)、
翻ってあなたの半生を見渡すことにしましょう。

まず家族の事情について。

仕事人間で自宅に不在がちの父、
家庭を省みず、それでいて子供に愚痴ばかりこぼす母。

あなたは、長女として幼い頃から、
この家族の”かすがい”のような存在だったのでしょう。

このような調整的役割を、いろいろな場で期待され、
それにことごとく応じようとしてきたあなた。

しかしいくら頑張っても、あなたの”子供のこころ”は癒されず、
あなたのうちには寂しさが沸き起こるばかり。

18歳で家を出たのは、必然的な選択でしょう。

その後、学ぶ興味を失い、同棲を経験するなど、
きまじめ人生から軽く”逸脱”します。

(この後も、”調和”とそれを壊すような”逸脱”という行程を繰り返します。

これは先に示した『人間失格』の葉蔵の人生でも特徴的です)

そして大学生活をリセットし、
好きだったというデザインの勉強をしようと一念発起。

ここで同棲を解消することを条件に、
親に費用を負担してもらうことになる訳ですが、
”せっかく”家を飛び出したのに、
またあなたの人生が親の管理下に置かれるようになってしまいます。

(これが、あなたの虚無感・脱力の背景となっています)

それから、就職・結婚と、波乱のない”人並み”の道筋をたどります。

あなたは夫に対し、表面的には何の不満も持っていないようにみえますが、
あるとき、何もかもかなぐり捨てて
出奔(夫には行方を告げていた?)します。

(これが、2度目の”逸脱”になります)

<本当は、真面目で優しい夫の結婚相手は私である必要はなかったとの思いにとらわれ、
申し訳なく息苦しい生活から逃げ出してきたのだと思います。>

もっともらしい理由なのですが、
これは”私の結婚相手はこの夫である必要はなかった”という
あなた自身の思いの裏返しだろうと思われます。

このように自らの思いを、相手に仮託して感じることを、
「投影性同一視」といいます。

<何か日々、生きている実感がないことに寂しくて、
いろいろと思い詰めたあげく、
2年半前に家をとびだしひとり暮らしをはじめました。

これは、たまたまの人との出会いや偶然も重なったのですが、
自分を「生き直す」には最後のチャンスと思えるような偶然の流れに、
勢いで思い切って乗っかってみた、というような感じでもあり、
なにもかもやけくそですべて投げだし、ともかく逃げ出したい一心で、
ということでもありました。>

このあたり、あなたには何か煮詰まった思いがあったのかもしれませんが、
外から見る私たちからすると、あまりに唐突である印象が拭えません。

一方、このことについて夫はどう思っていたのでしょうか。

<時々、主人は出張の途中で関西に立ち寄り、一緒に食事などしますが、
彼は私を責めるようなことはひと言も言いません。

でも、戻ってこいとも言いません。

彼は、私でなければだめだとも言いませんが、
他の女性と付き合う気持ちもなさそうです。>

あなたと夫、なんだか不思議な関わりです。

”なんだか不思議な関わり”というのは、
これほどの仕打ちをしても、あなたは夫から責められないこと、
そして、なぜかあなたも、夫に対しほとんど
罪の意識を持っていないことを指しています。

(これも『人間失格』の葉蔵に通ずる点です)

夫は、あなたのこのような無軌道にみえる生き方を尊重するほど
度量が広く優しい人ともいえそうですが、
同時に、あなたを強引に自らのもとに手繰り寄せようという気力に乏しい
弱力型の人物だともいえるかもしれません。

(おそらく、どちらの見方にもある程度妥当性があるでしょう)

結婚当初よりのセックスレスも、同様の理由が考えられます。


ところで、あなたが夫に対し、
罪の意識をそれほど持てないのはなぜでしょう。

それは、これまで非常に傷ついてきているあなたが、
夫にも応分の傷つきを求めるからでしょうか。

それとも夫の存在自体が、この寂しさの原因の一端を成しており、
夫が妻であるあなたのわがままに耐え、配慮しつづけることは、
あなたにとって当然といえるからでしょうか。

はたまた、あなたが耐えがたい寂しさに圧倒され、
夫を慮る気持ちを持つ余裕がないからでしょうか。

いや、一番の理由は、このような他者との関係性の手前のところに
あるのではないでしょうか。

あなたには夫が見えていないのです。

夫だけではありません、実は誰も見えていない。

すなわち、あなたの前には”他者が不在”だということです。

これはどういうことでしょう。

だってあなたは、これまで
普通に他者と社会生活を営むことができてきたというのに。

あなたは一見他者と卒なく関わることができているようですが、
本当のところ、それは表面的なものでしかありません。

<本当は死んでしまいたいくらい寂しくて寂しくて、何にも集中ができません。
「閉じる」時の激しさに比べたら、
日常のこれが好きとかあれがしたいとか、思い続ける力が持続しません。>

あなたの寂しさは、そばに人がいるはずなのに、
その存在の実感がまるで伴わないことに起因しています。

本当に誰もいないときに感じるあたりまえの寂しさなんて、
これに較べたらまるで問題になりません。

”「閉じる」時の激しさ”とは、
”他者との関係性に根ざしていない空疎な自分というものに、
真っ向から向き合うことへの怖れ”
とでも言い換えられましょうか。

<こういった状況・・・つまりは、私は私自身の意志でどんな生き方でもできる、
現に身内にも心配や迷惑をかけつつも今は、気ままなひとり暮らしをしている
というのに、先にも書きましたように、
まったく不安定な気持ちを抱えて少しも楽しめない日々を送っているのです。>

自由で気ままな生活を楽しめるためには、
その背後に他者からの制約・束縛が前提されていなくてはなりません。

そうでなければ逆に、自由があなたを苦しめることになります。

<あやしい宗教でも何でもいい、迷わず信じ続けられるものがある人を
うらやましくも思います。>

このようにあやしい宗教に帰依するということは、
非常にわかりやすいかたちでの、”他者からの制約・束縛”の導入です。

しかしこのようになるためには、
”いつか自分らしさというものを発見して、幸せになれるはず”と
無邪気に信じられるオプティミストでなくてはなりません。

あなたは宗教に幻想を求めるには、あまりにも”覚醒”しすぎています。

こんな”救いのない”あなたに、何かよき処方箋はないのでしょうか。

残念ながら、これは精神科の病気とはいえませんし、
あなたの寂しさにまぎらす効果のある薬物も存在しません。

しかし、ひとつどうしてもお伝えしておかねばならぬことがあります。

それは、この寂しさに耐え忍んできたあなたほど、
強靭な精神を持つ人はそうそういない、ということです。

<いい大人になって甘えるなと強く叱って欲しい気もします。>

あなたほど甘えから程遠い人を、誰が叱るもんですか!

むしろ誰かに甘えることができるようになる、ということは
あなたの遠い目標にするといいでしょう。

それから、ほんのちょっぴりの自己陶酔も。
(あなたになくて、太宰にあるのは、
この自己陶酔かもしれません)

すぐには無理でしょうけどね。

あなたは、自分のたどってきた過酷な精神の遍歴に、
もっと”自信”をもっていい。

これほどの体験をしたのだから、
こころの痛み・苦しみは、誰よりも分かるはず、と。

唯一この点(こころの痛み・苦しみの共感)において、
今後あなたは”他者”を獲得することができるでしょう。

そこが、これからのあなたの出発点になるに違いありません。


熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
臨床感覚の広場のサイト:http://www.dr-kumaki.com/

『あなたはガンではなかった、よかったですね』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

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『あなたはガンではなかった、よかったですね』

        ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(12)~
           

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Q:51歳の女性です。

ちょうど1年前、45歳の時に切除した卵巣ガンの転移が肺に見つかり、
担当の外科医から「もう切除できない」といわれてしまいました。

「もってあと6ヶ月の命」ともいわれたので、ひどく動揺しました。

家族の支えもあり、さまざまな葛藤の末、
ようやく運命を受容しようという気持ちをもてるようになりました。

家族やこれまでの人生でお世話になった方に、感謝を捧げながら、
遺言状をしたためていた時のことです。
担当の外科医から、突然次のようなことを聞かされました。

「院内カンファレンスで他の医師と話し合った結果、
あれはガンでないことが判明した。よかったですね」と。

寝耳に水とはこのことです。

意を決して身近な友人には、もう長くないから、と
告げてしまったあとだったのです。

急いで、みんなに詫びをいれたところ、
「ホントよかったわね」と喜んでくれました。

蘇ったような心持ちでびっくりと同時に、喜びをかみしめていたのも束の間、
担当医からの再告知から1ヵ月後に深いうつになってしまいました。

こんなうれしい知らせのはずなのに、
なぜうつなどになってしまうのでしょう。

再びもらった大事な命のはずなのに、
最近それを投げ出してしまいたくなるような気持ちに襲われる私は、
本当にわがままです。

娘たちも、「いいかげんにしなさいよ」と私に愛想尽かしかけています。

なんとかならないものでしょうか。


A:『ランボー』という映画、ご存知ですか。

20年程前のアメリカ映画で、
シルベスター・スタローンという俳優が主演でした。

主人公ランボーは、ベトナム戦争の帰還兵です。

彼らは、ベトナムからアメリカに帰った当初、
その戦功を顕彰され、一躍ヒーローとなりました。

しかし、ベトナム戦争が終わってしまうと、
あの戦争は何だったんだというような懐疑的な見方が、
アメリカ国内においても広がり、
人々は忌まわしい記憶としてその事実を葬り去ろうとするようになります。

それと同時に、ベトナム帰還兵は帰国した時とは打って変わって、
まるで存在しなかったかような扱いを受けるようになってゆきます。

誇りを失い、社会において占めるべき位置も失い、
生活も心もすさみゆく彼ら。

そういった状況で、ランボーはうちから沸き起こる怒りを、
また別の戦いの場に向けてゆく・・。


私はこの相談を目にしたとき、
この『ランボー』という映画が一瞬頭をよぎりました。

戦争とガンの告知に、何の関係があるかって?

それは、あとで説明しましょう。


ところで、今回のガンの告知は、あなたにとってのみならず、
まわりの人にとっても大きな”事件”でした。

そのため、あなたの心がけにのみ言及したのでは、
非常に大切なことを見落としてしまいます。

そこで、この”事件”について、まわりの人の立場からまず見ることにし、
引き続きあなたの立場から見てみることにします。

そうすることで、常識的な目線からは見えてこない
この”事件”の構造がわかり、
あなたがなってしまったうつの本当の要因が分かるでしょう。


ガンになるというのは、現代人が一様に抱える恐怖です。

そしてガンになり、”余命いくばくもない”と宣告されることは、
このうえない悪夢です。

よってこのような悪夢を体験した人は、それが他人であったとしても、
ある意味”人身御供”のようなもので、
その悪夢は誰にとっても全くの人ごとではありません。

そのため、まわりの人々は憐憫と好奇から、
あなたの立居振る舞いに強い関心を寄せるようになります。
そしてまわりの人々は
、あなたの一挙手一投足に逐一”意味”を見出すようになる。

あなたはここで”舞台”に押し上げられて、
限られた生を全うする悲劇のヒロインを演じなければならなくなります。
あなたが、そのような状況を望むと望まざるとにかかわらずです。

さあ、幕が上がります。
これが”悲劇”の始まりです。

(現代の”悲劇”は静かに潜行するものではなく、
このように衆人環視のもとにあります。

それが”生きがい”につながる場合があるのかもしれませんが、
”そっとしておいてほしい”という静かな生活を望む思いは、
踏みにじられることにもなります。

人によっては、これが二重の悲劇といえるかもしれません。)


まわりの人とはいっても、あなたの家族の場合はどうでしょう。

彼らの動向にも、まわりの人々は無関心ではいられません。
こうして彼らは、あなたと同じく
この”悲劇”の”舞台”に押し上げられることになります。

また家族は、ガンに対しあなたと共闘する覚悟を決めます。
彼らを、”主演”のあなたの脇を固める”脇役”とみなしうるかもしれません。

それからは、あなたにとっても、そして家族の誰にとっても、
悔いの残らない最期を迎えられるよう、刻苦の日々が続いていきます。

(この過程で、あなたの家族は闘病にのみ集中するようになるため、
まわりの目はほとんど意識されなくなるはずですが、
果たして本当にそうでしょうか。

現代の”悲劇”においては、
純粋に自分のためだけに”悔いを残さないように”することができません。

その事情に気づかぬようにするために、
あなたと家族には、闘病とは別の”余計な疲れ”がでてくるかもしれません)

そこで、「あれはガンでないことが判明した。よかったですね」という
”寝耳に水”のような医師からの言葉。
そしてそれに伴って、心の底から沸きおこってくる安堵と喜び。

これは間違いのない気持ちでしょう。

しかしひとしきり喜んだ後、しばらくたつと、
ずっと持続してきた緊張の糸はプツリと切れ、
なーんだ、という白けた気持ちが芽生えてきます。

誰もあなたの死を待ち望んでいないのは、言うまでもないことです。

が、これは家族にとり全くの”拍子抜け”でもあります。

それと同時に彼らは、あなたが”死なない”と聞いて
こころの張りを失なってしまった自分自身に、
いいしれぬ”ばつの悪さ”を感じるようにもなります。

この”ばつの悪さ”を打ち消すように、家族は急にあなたに冷淡になります。

「いいかげんにしなさいよ」というのは、その表現です。

家族からすれば、こんなに心身を尽くしたのにそれが空振りに終わり、
やりきれない空虚さ・怒りを感じているのです。
この怒りのやり場に困って、あなたに矛先が向いている訳です
(理不尽な話ですが)。


では、肝心のあなたはどうでしょう。

死を宣告された患者さんの<死の受容>については、
一応”理論”があります。

精神科医キュブラー・ロスが著した書で、
現在ホスピスに関わる人々の基本書となっている『死ぬ瞬間』がそれです。

このなかでロスは、有名な「死のプロセス」を5段階に分けて論じています。
それは、否認・怒り・取引・抑うつ・受容というものです。

例えば、今回のように「もってあと6ヶ月の命」といわれた場合、
はじめは、”こんな話、到底受け入れられない”、
”夢ならば早く覚めてほしい”と考えます(否認)。

そして、”なぜ私だけがこんな目に・・”、”神様は不公平だ”、
”私は何も悪いことしていないのに・・”といった
思いにとらわれます(怒り)。

そして運命に抗うため、ガンと闘う構えをみせたり、
神仏に祈ってみたり(取引)。

ついには運命に抗しきれないと悟り、打ち沈むようになる(抑うつ)。

最終的には、死を従容として待つ境地になる(受容)というものです。

これはあまりに図式的に過ぎるし、
もちろんあらゆる場合がこのとおりにいく訳ではありません。

またこれは、”ひとは結局、来世待望に行き着くものだ”という
キリスト教的諦念にもとづいた理想論にすぎない、
という見方もできなくはありません。

しかし私には、ある程度普遍的な人間の真実を
言い当てているもののように思えます。
(それだからこの「死のプロセス」は、
世に広く受け入れられてきたのでしょう)


ところであなたは、先の例えでいくなら、
期せずして”舞台”に押し上げられた”主演女優”のようなものです。

相談の中では、あなたはこの「死のプロセス」を
飛び越えたところの話をされています。

しかし当たり前のことですが、誰にとってもこのプロセスを越えてくるのは
並たいていのことではありません。
あなたはあまりにサラリとしか<死の受容>について触れられていない
のですが、きっと大変な思いをされたことでしょう。

その”荒波”を乗り越えてようやく、
自らの人生の幕引きを恬淡と迎えつつあったあなたに、
キュブラー・ロスでさえ予見しなかった”大波乱”が待ち受けていました。

「あれはガンでないことが判明した。よかったですね」という医師の一言。

さまざまな葛藤の末、ようやく”大団円”といくはずだった
あなたの劇的な人生が、一気に崩された瞬間です。
喝采を浴びて、惜しまれつつ消え行くはずの”主演女優”は、
突然舞台から引きずりおろされます。

そんなはずはない、とあなたは言うかもしれません。
<蘇ったような心持ちでびっくりと同時に、喜びをかみしめていた>
といわれているのですから。

確かに生き続けられるようになったことで、
多くの大切なものは失わずに済んだでしょう。
それを喜ばれるのは、あなたの正直なお気持ちでしょう。

しかし、<こんなうれしい知らせのはずなのに、
なぜうつなどになってしまう>
とか、<再びもらった大事な命のはずなのに、
最近それを投げ出してしまいたくなるような気持ちに襲われる>というのは
一体どうしたことでしょう。

あなたは本当に、ただの”わがまま”なのでしょうか。


先に、映画『ランボー』の話をしました。

この映画については、ベトナム戦争を主題とした反戦映画、
ベトナム戦争後のアメリカの虚無を描いた映画であるとか、
いろいろな論評があるでしょうが、それはここでは取り上げません。

『ランボー』は、見方によっては”英雄墜落”の物語です。

ある時期を境に、毀誉褒貶が相半ばしてゆき、
ランボーのベトナム帰還兵としてのアイデンティティが
大きく揺らぎます。

彼は時代に翻弄された結果、かつての栄光を失い、
怒りに打ち震えているのです。
まさに、憤懣やるかたないとはこのことです。


ここで、
時代 → 医師の宣告
栄光 → まわりの共感
怒り → うつ
と置き換えると、これまでのあなたの状況に似てきませんか。

”悲劇”の渦中にあったのに、急に誰からも相手にされなくなった
というのは、一種の”喪失体験”なのです。

死の宣告撤回によって、命拾いしたようにみえて、
実は大切な何かを失くしてしまっていた。

その何かとは、まわりの人が寄せる共感・同情、
それに集中的に注ぎ込まれた家族愛です。

そのようなものは、ないならないで人生何とかなった。
しかし、ひとたび獲得してしまうと、容易に手放せないものになります。

すなわち、”無垢”な状態ではいられなくなります。
しかし、死の宣告が突然撤回されたあなたは、
もはやもとの”無垢”な状態ではないのです。

そしてこのような状況を受け止めかねて、
他責的になる人は怒り、自責的になる人はうつになります。


診断をつけるとするなら、あなたのうつは、軽度のPTSDによるものです。
(軽いか重いかの判断は、少し難しいのですが、一応そうしておきましょう)

PTSDとは、Post-Traumatic Stress Disorderの略で、
日本語では、「心的外傷後ストレス障害」と訳されます。

過去に受けた激しい心の傷が慢性的に経過し、
様々な生きにくさを抱えるようになる精神障害のことをいいます。

アメリカ精神医学会の作成した
精神疾患の診断・統計マニュアルであるDSM-IVの中にあり、
近年日本でも関西・淡路大震災や地下鉄サリン事件で、
この障害は有名になりました。

このPTSDのモデルケースとなったのが、
実は先述のベトナム帰還兵と、レイプ・家庭内暴力・近親姦後サバイバーで、
いろいろ政治的な思惑がからんでいます。

そのため、最近PTSDばやりだからといって、
何でもPTSDに当てはめることは問題があるのですが、
あなたの場合、因果関係が分からずひとりで苦しまれてきたのですから、
そこに道筋をつけてあげることが治療的であると考えます。

今回の場合、あなたのうつを家族は
「ガンではないといわれたのに、いつまで甘えているの」と
思っているようですので、
まずこのように認識を改めてもらうことで、あなたに救いが生まれます。

それに、精神科医の私に相談を持ちかけてこられたのは、
なかなかいい判断だったと思います。
精神医学的にみて看過できぬものだといえるからです。

悩みは、その輪郭がハッキリしてくると半分ぐらい治ったといえます。

ガンから解放されてなお苦しまなければならないあなたが、
この回答で少し楽になれるといいのですが。


最後に、あなたを”翻弄”した医師について。

彼はもちろんのことながら、あなたのこころの変遷にまるで気づいていません。
そもそも、何の悪気もありません。
「よかったですね」という言葉は字義どおりのもので、
あなたと幸せが共有できるものだという素朴な確信にもとづくものです。

しかしこの”無邪気さ”が、患者さんを苦しめることさえあるのです。

ガンという病気は、告知されるにせよそこから解放されるにせよ、
依然”落差”が大きい病気です。

ガンは告知するのが常識になりつつありますが、
患者さんに伝える立場の医師は、
患者さんに”覚悟”を問う以上、自らにも”覚悟”を問わねばなりません。



熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
臨床感覚の広場のサイト:http://www.dr-kumaki.com/

『死んだら死んだでそれでいい』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

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『死んだら死んだでそれでいい』

        ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(11)~
           

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Q:私は現在25歳の男です。

無職ですが、ハローワークに通う気力もなく、焦りもありません。

積極的に自殺したいとは思いませんが、死んだら死んだでそれでいい
と思っています。

時々、うつ状態になって人生どうなってもいいやと思い、
酒を飲みながらカッターナイフで自分の肩を切り刻んでいます。
血と傷跡の瘡蓋の臭いが肩からいつもします。

処方薬のハルシオンを缶ビールと一緒に飲んで、
ふらーと気持ちよくなったり、記憶を失ったりもしています。

私の通っていた高校は、県内の進学校で、地元の有名国立大学の合格者を
増やすことを至上命題にしていた学校でした。
テストの上位50人の氏名、クラス、点数、偏差値、出身中学が
張り出されるような校風でした。

私は、高校1年の最初のテストで、学年で一桁の順位をとってしまい、
それ以来、テストでは上位になって名前が張り出されなければならないと
自意識過剰になりました。
また、高校1年の3学期に好きな女性に告白してふられてしまいました。

私が初めて自殺願望をもち、うつ状態になったのは、高校2年の一学期です。
うつという心の病気が存在することも知らなかったので、
それをまぎらわすために酒を飲んだり、
手首をカッターナイフで切ったりしていました。

勉強に集中することができなくなり、成績は急降下しました。
すべてのことがどうでもよくなって、高校中退を真剣に考えましたが、
親に中退したいと相談する勇気もなく、
卒業できるだけの点数を取って高校を卒業しました。

また、高校2年の時にO真理教の事件があって、宗教に入れば、
うつ状態が治るかもしれないと思い、
教祖Aの本や実存主義の哲学の本などを読みました。

高校3年の時に、「完全自殺マニュアル」と「人格改造マニュアル」を
読んでみたら、精神分裂病やうつ病のことなどが載っていて、
自分も心の病気に違いないと思い、
自分ひとりで精神科のクリニックに行きました。

高校卒業後は、親と二人で2週間に1回くらい
精神科に通い続けていました。
医者には、うつ病と診断されました。
几帳面で責任感が強いといった、うつ病になりやすい性格に
自分もあてはまるので、診断に納得していました。

大学生になっても、精神科に通っていました。
大学では、同じクラスの人など、自分の知っている人に会うのが怖いという
一種の対人恐怖症になりました。

3年生からは、ほとんど引きこもり状態でした。
ひとりでいても淋しいとは思わず、むしろひとりでいるほうがラクでした。
出席の必要の無い授業を選んで、テストだけ受けて単位を取得していました。

卒業に必要な単位を取得した後は、家で一日中寝ている日が多くなりました。
うつ状態や自殺願望は減り、無気力で怠惰な状態がずっと続きました。
ひげもそらず、風呂も入らず、テレビをつけっぱなしにしているだけで
集中して見ることもできない状態でした。集中してマンガすら読めません。

何をするのも億劫で、人と会話することも風呂に入ることも
ほとんどしなくなりました。
そして精神科の診察で、自分の状態を話すことさえもめんどくさいのです。

ちなみに、現在の処方薬は以下の通りです。
デパケン400mg、パキシル40mg、アモキサン50mg。リタリン20mg、
ハルシオン0.5mg、ロヒプノール1mg/day

こんなに無気力で集中力もない状態では、働く自信がありません。
社会に出ていけない不安でいっぱいです。

気力を出して社会の中で生きていくには、どうすればよいでしょうか。

私は、ほんとうに、うつ病なのでしょうか。

本で読んだ、「単純性分裂病」にも該当する気が素人ながらするのです。

(うつ病であるなら、抗うつ剤を服み十分な休養を取れば、
それほど長い時間を必要としないで治る可能性が高い
[うつ病の本には、2週間から1ヶ月くらいで治る人が多いとある]
といわれていますが、抗うつ剤を長期間飲んでいるのに、あまり効き目が無い。

高校のときは、妄想や幻聴はなかったが、うつ状態と自殺願望で苦しんでいた。
それが今では、どんどん自閉的で無気力な状態になっている。

仕事も遊びもしたくないという心理状態や、
ほとんど一日中家にひきこもっているという自閉的生活を、
退屈とも苦痛とも思わない。

これらを考えあわせると、純粋なうつ病の症状ではなく、
これらは精神分裂病の陰性症状のような気がして、
ひょっとして自分は妄想や幻聴を伴わない単純型分裂病なのではないか
と考えるようになったのです)

以上の二つの質問、よろしくお願いします。


A:ここではとりわけ診断が重要ですね。

というのも、診断が違えば、治療の方向がまったく異なってくる
ようなケースだと考えられるからです。

しかし、お会いしたことのないあなたについて診断を下すのは、
この場合なかなか難しい。
微妙なところが、診断に影響しそうだからです。

よって推定ではありますが、とりあえず語りだしてみることにします。

<私は、ほんとうに、うつ病なのでしょうか。
本で読んだ、「単純性分裂病」にも該当する気が
素人ながらするのです。>

まず、うつ病についてですが、これは違うような気がします。
それには、いくつか根拠があります。

(1)十代なかばのうつ病の発症は極めて珍しい。

(2)うつ病になる人に特徴的な”あとのまつり(「ポスト・フェストゥム」
といいます)”といった心性が、どこからも感じ取れない。

(3)内因性精神病のうつ病から、ひきこもりに推移することは
あまりない現象である。

(4)もしこれがうつ病とするなら、病期があまりにも長すぎて(10年!)
典型的なものとはいい難いこと。

(5)抗うつ薬が効いているようには思われない。

説明していきます。

(1)近頃、思春期の男女が”うつ”を訴え、精神科に来院するケースが
増えていますが、大抵それは”生きづらさ・暮らしづらさ”といった
ようなものであり、典型的なうつ病の訴えとは質が異なっています。

(2)”あとのまつり”とは、もう何をやっても無駄だ、と
完全に人生をあきらめてしまうような態度・思考を指していいます。

うつ病の人の訴えは、とても単調で、自分は悪い人間だ、
きっと死にいたるような病気にかかっている、貧乏でもうだめだ、
といったようなもので、あまりバリエーションがありません。
そしてそこには葛藤のあとをあまりみてとることができません。

それに対しあなたには、そこかしこに”往生際の悪さ”
(言い方が悪いですが)が見られ、人生をあきらめきっているようには、
どうしても見えません。
(後述するように、そこに”見込み”を感じます)

そして、こころのうちに様々な葛藤を秘めており、
そこからくる身を焦がすような思い・その思いが結局遂げられず
憔悴しきっている様など、特有の”病状”を呈しています。
これは、思春期で”うつ”を訴えてくる人々にも共通するものです。

(3)(4)(5)大抵のうつ病の人は、あざやかな治り方をします。

<うつ病であるなら、抗うつ剤を服み十分な休養を取れば、
それほど長い時間を必要としないで治る可能性が高い
[うつ病の本には、2週間から1ヶ月くらいで治る人が多いとある]
といわれています>と、あなたが指摘されているとおりです。

治ってしまった後に、かつて訴えていたようなこと(自分は悪い人間だ、
きっと死にいたるような病気にかかっている、貧乏でもうだめだ)は、
まるでなかったかのように、ぴたりと言わなくなります。

(考えなくなるのではありません。その証拠に病状が再燃すると、
やはり同じ訴えをするようになることが多いですから)

治りにくいうつ病(難治性うつ病)もあるにはあるのですが、
それでもある程度の量の抗うつ薬を使用すれば、
それなりに病状が改善するものです。

ひきこもりに至る人々は、経過はどうあれおしなべて
自尊感情が著しく低下し、容易に改変されませんが、
治ってしまったうつ病では、そのようなことはありません。

自尊感情の低落こそが、ひきこもりに至る人々の”病状”を遷延させる
おおもととなっているものです。

このように、難治性うつ病の”こじれ”と、
ひきこもってしまった人の”こじれ”では、質が違います。

抗うつ薬を自動車のアクセルに例えるなら、
難治性うつ病の”こじれ”とは、トランスミッションギア(変速装置)が
うまく噛み合わず、動力が伝えられない状態、
それに対し、ひきこもってしまった人の”こじれ”とは、
トランスミッションギアが変に噛み合って、
異音を発しているような状態とでもいえましょうか。

あなたの服用されている薬物は以下のとおりです。
<デパケン400mg、パキシル40mg、アモキサン50mg。リタリン20mg、
ハルシオン0.5mg、ロヒプノール1mg/day>

あなたの場合に限りませんが、その担当医がその病状をどのように
捉えているかを知るのに、処方薬物ほど格好のものはありません。

ここではパキシル・アモキサンという発動性を上昇させることが
主目的となる抗うつ薬が併用(パキシルは極量)されており、
それに、リタリンという難治性うつ病にまれに用いる
精神賦活薬まで使われています。

デパケンは抗てんかん薬ですが、やはり難治性うつ病にも使用することが
ありますので、ここではその目的で入れられているのでしょう。

これらから、主治医はあなたのやる気を何とか持ち上げようと
躍起になっている様が、見て取れます。

ついでにいうなら、このような”ややこしい処方”から、
あなたと主治医の長年の苦闘のあとが読み取れます。
最初にこんな処方を作ろうとする精神科医は誰もいないからです。

しかし残念ながら、この処方であなたが治ってきているようには
見えません。先ほどの例えでいうなら、今のあなたにふさわしい”変速”が
たまたまできていないだけなのか、あなたが何らかの理由で
変わってしまってギアが最早うまく噛み合いようがない
(薬だけでは治らないようになってしまっている)のか。
(ここではおそらく、後者だと考えられます。)

よって、仮にうつがあるとしても、それが病気の本体ではなく、
ひきこもり状態に続発する抑うつ気分と考えるのが妥当ではないでしょうか。

(ただ「うつ病」と診断した最初の主治医を、
決して責められないと思います。

あなたの病状を説明するには、特殊な経験と知識を要するでしょうし、
このような関わりも主治医の”良心”に基づくものだと
解釈できるからです。)

精神分裂病(統合失調症)の単純型(あなたのいわれる「単純型分裂病」)
も当てはまらない気がします。

というのも、これだけ筋道立てて自分の”病歴”を語れる
精神分裂病の方は、ほとんどいないからです。

また精神分裂病の患者さんは、他者との関わりを
これほどまでには切望しないです

(他者に関心がないという訳ではありません。
自分の内に”侵入”されるような感じを強く忌避するのです。

それはあなたがきっと感じているであろう
他者に受容されないかもしれない恐怖とは、
根本的に違うものだろうと思います)

<仕事も遊びもしたくないという心理状態や、
ほとんど一日中家にひきこもっているという自閉的生活を、
退屈とも苦痛とも思わない。>

このようにあなたは言われていますが、本当ですか。

退屈ではないに違いないですが、相当苦痛を感じられているはずです。
(長年にわたり、その感情を抑圧してこられたかもしれませんが)

ゆえに、確かに単純型分裂病と”表現型”は似ていますが、
やはりこれも違うと思います。

ではいったい診断は何?

確かに鑑別は難しいのですが、ここでは「社会的ひきこもり」
という診断を採用したいと思います。

これは近頃、精神科医の斉藤環氏などが、提唱されている診断名です。

氏は、<二十代後半までに問題化し、6ヶ月以上自宅に引きこもって
社会参加しない状態が持続しており、他の精神障害が第一の原因とは
考えにくいもの>という概念化をしています。

これは「不登校」などと同じで、ひとつの症状・現象名であって、
いわば病名ではありません。
すなわち相当広範にわたる現象を、
ひとくくりにしている可能性があります。

なのになぜ、これを採用するのか。

それは、「社会的ひきこもり」という概念は
ただ取り出されるためだけのものではなく、
一緒に治療戦略を備えているからです。

(詳しくは、「社会的ひきこもり」斉藤環(PHP新書)を参照)

ここでは、同書より「社会的ひきこもり」の特徴を
いくつか取り出してみたいと思います。

あなたの記述のなかには、家族のことがあまり出てきませんが、
(<親と二人で2週間に1回くらい精神科に通い続けていました>と
あるくらいです)
思春期的問題のクリアでつまずいた長男に典型的な病である、
といった指摘があります。

仕事熱心な父・教育熱心な母という構図の見られる、
一般に中流以上とされる家庭でよく生じているとも。

それ以外に、
==
母との共依存関係(様々な”利益”を介したもたれあいの関係)
があり、これが「ひきこもり」の悪循環を引き起こすもととなる。

「ひきこもり」は、傷ついて引きこもることでさらに傷つく
悪循環のシステムで、ひとたび起こると自然治癒は難しい。

外傷やストレスは他人から与えられるかもしれないが、
同時に他人からの援助なくしては、外傷からの回復もありえない。

本人のみならず、やがては家族も社会からひきこもってしまうような
相似形の状況を成してしまう。
==
など本人の精神病理・家族病理を鋭く描き出しています。

これらのすべてとはいわないまでも、
ある程度思いあたるところがおありなのではないですか。

(ただこれらが当てはまるからといって、家族をうらんではいけません。

このような家庭環境はきっと日本中にあり、
あなたが期せずして”穴”に落ちてしまったのだと考えられるからです

それにこのような両親は、概してとても良心的で、
責め立てるのはあまりにも酷だと思います。

それにうらんだところで不毛で、
何ら解決の糸口を見つけ出すことはできません。

もちろんあなたは十分に理性的な方だろうし、
そのようなことはないと思いますが)

この観点から、あなたのこれまでの経過を
もう一度洗いなおしてみたいと思います。
(ここにはもちろん私独自の推理が入ってきます)

先にこのような記述があります。
<無職ですが、ハローワークに通う気力もなく、焦りもありません。>

また終わりの方で、このような記述も目に付きます。
<こんなに無気力で集中力もない状態では、働く自信がありません。
社会に出ていけない不安でいっぱいです。
気力を出して社会の中で生きていくには、どうすればよいでしょうか。>

これは一見矛盾するようですが、実はそうではありません。

これだけ精緻な論の運びができる知性的なあなたですから、
論述のほころびに自覚的でないはずはありません。

あなたの葛藤のひとつが、分かりやすい形で
浮かび上がっていると考えるべきなのでしょう。

<私は、高校1年の最初のテストで、学年で一桁の順位をとってしまい、
それ以来、テストでは上位になって名前が張り出されなければならないと
自意識過剰になりました。
また、高校1年の3学期に好きな女性に告白してふられてしまいました。
私が初めて自殺願望をもち、うつ状態になったのは、高校2年の一学期です。>

小さい頃から、回りの人々より寄せられる強い期待。
完璧主義のあなたは、それほどの挫折体験もないまま、
そういった期待に応えつづけ、どんどん自己愛を肥大化させてゆく。

否が応でも、世間体を気にしない訳にはいかなくなり、
ますます引くに引けなくなる。

知的なあなたにとり、テストは自分の力で十分コントロール可能なもの。

しかし、異性への愛情が受容されない体験は、いたく身に応えたはず。

恋愛は自らの努力だけではいかようにもコントロールし難いもの、
思春期の最大の関門。

ここでこれまで肥大化させてきた自己に対する幻想が、
一気に崩れたものと考えられます。

(このあたりは、きっとあなたにとり自明なことでしょう。

おそらくそれまでにも、努力を尽くしてもどうにもならないものが
待ち受けているという予感は、うすうすあったはずです。

これがいわば”長男”に象徴される課題なのでしょう)

このような挫折に”免疫”がないあなたには、一気に「自殺願望」が芽生え、
そして「高校中退」まで思い詰めるようになります。

<うつという心の病気が存在することも知らなかったので、
それをまぎらわすために酒を飲んだり、
手首をカッターナイフで切ったりしていました。>

そして現在のあなたは、
<時々、うつ状態になって人生どうなってもいいやと思い、
酒を飲みながらカッターナイフで自分の肩を切り刻んでいます。
血と傷跡の瘡蓋の臭いが肩からいつもします。
処方薬のハルシオンを缶ビールと一緒に飲んで、
ふらーと気持ちよくなったり、記憶を失ったりもしています。>

近頃、リストカッター(広く、自らの体を刻む人)は多くなりましたが、
強いていえば、2タイプあるように思います。

生きている実感が乏しく、リストカットでそれを確かめる人。
切っている時は忘我の境地にあり、俗世の苦しみからしばし逃避できる。
(とはいえ行為の後、耐え難い虚無感が待っている)

生きるに値しない自分に絶望してしまっているため、
その自分を虐げ、貶め、懲らしめることで、
かろうじて生きる”恥”に耐えている人。
死に直接結びつくようなことはしないが、
自己存在に”深手”を負わせるような”緩徐な自滅行動”を常態化させている。

あなたは後者だと思います。

ここまできてしまうのは、ある意味相当重症です。
おそらく、ここに至る経過は決して短いものではないはずです。

<高校中退を真剣に考えましたが、
親に中退したいと相談する勇気もなく、
卒業できるだけの点数を取って高校を卒業しました。>

<出席の必要の無い授業を選んで、テストだけ受けて単位を取得していました。>

これはあなたの頭のよさ・如才なさが災いしましたね。

問題が顕在化するのを先送りにする結果を招いてしまいました。

いつもいつもあなたに重苦しくのしかかるおびただしい”自由”時間を、
何とかやり過ごすそんな日々。
そんななか、どうしてこうなったのか、延々考えあぐね、
自責と他責の間で煩悶する日々。

自分が無気力だ、虚無だというようになる前に、
十二分に気力を振り絞ってきたのではなかったか。
生きるエネルギーを消尽した果てが、今の姿なのでは。

しかし同時に、次の点を高く評価しなければなりません。

通常、内省的になる余裕がもてず、精神科的治療を拒むケースが
圧倒的に多いなか、つとめて冷静に自分の現状をみつめ、
結果自らすすんで精神科クリニックに赴いたこと。

こじれにこじれた状況では自棄的になり、退行して家族などに暴力を振るう
ようになることが多いのに、ここでも自制が効いているようであること。

これはまさに、あなたの知性と理性の賜物だろうと思います。

そして、何よりもこのような相談をこのような場にもちこんでくる勇気は、
あなたの将来がまだ絶望に塗りこめられていないことを、示唆しています。

<人生どうなってもいいや>

<気力を出して社会の中で生きていく>

このようにあなたの語る”人生””社会”という言葉は、
まだ具象性を帯びていません。曖昧なままの”人生””社会”。

でもこれは無理からぬことです。

あなたは、大きな”人生”や”社会”を相手にする必要はありません。

今あなたが向かっているパソコンのディスプレイからでも、
社会と接点を持つことはできます。
これだけの自己表現ができる訳ですから大丈夫、身近なところでいいので、
理解者を増やす努力をしましょう。

あなたの”これまでの苦しみの総量”が、あなたの人生の負債ではなく、
ゆるやかなリハビリに耐える強い杖として
あなたを支えていくことを願ってやみません。



熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
臨床感覚の広場のサイト:http://www.dr-kumaki.com/

『自宅で暴れまわる我が子』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

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『自宅で暴れまわる我が子』

           ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(8)~
           

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Q:6歳の息子のことでお尋ねします。

出産時は正常で、小さい頃に大きな病気は経験していません。
ただ、夜泣きがひどく、手のかかる子でした。

物心ついたころからは、親に対してかなり無理な注文をして、
それがかなわないと突然かんしゃくを起こすことが多くなりました。

現在、公共の場ではそれなりにおとなしいのですが、
自宅に戻ると、ふすまを破り、茶碗を投げるなど
暴れまわるようになってしまいました。

止めようとすればするほど、乱暴がよりエスカレートしてしまいます。
私たちが困るのを、まるでおもしろがっているかのようです。
「バカ、死ね、クソ」が口癖です。

その心労から、ついに同居している私(母)の母親が入院をしてしまいました。
私も次に何がおこるか予想がつかぬため、
突然動悸がおこって止まらなくなってしまいました。

知能指数は正常範囲ということです。

この子はいったい何なのでしょう。

私たちはどうしていけばいいのでしょう。


A:<この子はいったい何なのでしょう。>

まずこのご質問を額面どおり受け取り、
精神医学的観点からお答えすることにします。

大きい括りでいくなら、発達障害の一系である可能性があります。

ADHDってご存知ですか?
注意欠陥多動性障害といって、
学校教育の現場でクローズアップされてきている疾患です。

最近「片付けられない女」といったような本もでていて、
これはADHDをセンセーショナルに扱ったもので、一時話題になりました。

(ただ少し、この疾患のカテゴリーが拡げられすぎてしまった懸念が
あります。いうまでもなく、すべての「片付けられない女」が
ADHDだという訳ではありません。
それなのに、”だらしないのはしかたないのだ”と
都合よく自己弁護する人が出てきたりしています。

この疾患だけでなく、精神科の診断が”免罪符”として
取り扱われすぎるようになってきたのは、ちょっと考えものです)

ADHDの特徴は、一言でいうなら、”注意が拡散し絶えず落ち着きがない、
衝動的な言動がみられることもままある”ということでしょうか。

また一方で、アスペルガー症候群という疾患も
よく指摘されるようになってきました。
これは広く高機能自閉症の一亜型(近いもの、といった意味)として
扱われています。

自閉症とは、コミュニケーション能力に障害があるとされ、
またその障害と関連して言葉が遅れたり欠如したりするものです。
興味の対象が限られ、何かに特別強いこだわりを示すことが多いです。

高機能というのは、その自閉症のなかで、
知的障害の程度の軽いものを指します。

アスペルガー症候群は、自閉症に独特な
人との関係の築きにくさ・強いこだわりなどの特徴を持っていながら、
知的発達・言葉の遅れがみられないものを指します。

あなたのお子さんに、強いて診断をつけるなら、
このADHDとアスペルガー症候群あたりが該当すると思います。

(ADHDとアスペルガー症候群は、
同一の患者さんに併存することがよくあります。
ただし、ADHDやアスペルガー症候群であるなら、
必ず暴力的・衝動的になるという訳ではありません。念のため)

いずれも生まれながらの脳の機能障害があるとされるものですが、
それが具体的にどういうものか、現時点では定かではありません。
ただ、育て方が悪いからADHDやアスペルガー症候群になるのではない、
というのが現在の精神医学の一般的な見かたです。

ところで、ここで次のような疑問がわいてきます。

これまでよく言い慣らされてきた”やんちゃ坊主”や”わんぱく”と
これらの疾患はどう違うのでしょうか。

結論を先にいいますと、
”やんちゃ坊主”や”わんぱく”の程度のひどいものを、
ADHDやアスペルガー症候群などと表現しているのです。

これらには明瞭な境界はなく、
多分に判断者の主観によるところが大きいのです。

”随分いいかげんな話だな”と思われるでしょうが、
そうとしかいいようがないのです。

ただこういったことは決して珍しいことではありません。

よく”これは正常なのか、異常なのか”という問いかけがされますが、
その鑑別の際大事になるのは、それは<程度の違い>のついてなのか、
それとも<質の違い>についてなのかという点です。

<程度の違い>で鑑別している疾患の例として、
糖尿病・高血圧症(どちらも恣意的に定められた
ある検査データの”異常値”を基準としている)などが挙げられます。

すなわち、正常から異常にかけて”なだらかな”階層を形作っているものです。
ADHDやアスペルガー症候群はこちらに分類されます。

それに対し、特異的な症候を複数持つものを”症候群”として
くくりだす場合は、<質の違い>を問うているのです。

慢性関節リウマチやガンは<質の違い>を基準とした疾患です。
精神疾患なら、統合失調症・躁うつ病などがこれにあたります。
(例:幻覚・妄想といった症候をとらえて統合失調症と診断する)

身体についてであれ精神についてであれ疾患を論じる場合、
この<程度の違い>と<質の違い>について考えておくことは大変重要です。

(ただし、これは疾患の種類の違いではなく、
疾患というものを取り出すための方便の違いにすぎません。
ちょっとこの話、難しいですか)

ところで、”やんちゃ坊主”や”わんぱく”は性向を指す言葉で、
”元気な男の子”といったポジティブな見方を表しています。

一方、ADHDやアスペルガー症候群というのは、いわば”病気”であって、
当然のことながら、その言葉にネガティブな響きがあります。

ADHDやアスペルガー症候群などという言葉が
あまり知られていなかった10年以上前にも、
度外れな”やんちゃ坊主”はいたはずですが、
こういった子たちは病気だと考えられていなかったはずです。

社会が変化するにつれ、このような”あり方”は次第に許容されなくなり、
精神科で扱うべき病気であるという位置づけが
なされるようになってきたのです。

この流れは、何か不可解な刑事犯罪がおきるたびに社会論評の任を受けるのが、
小説家から精神科医に変化していった過程と併行しています。

ひとことでいうなら、”社会全体の精神医学化”です。

”社会全体の精神医学化”がすすむと、
社会の構成員各人の”度量”が損なわれていきます。
すなわち、我慢が足りなくなっていくのです。

アメリカでは、このような度外れな”やんちゃ坊主”が
保育園に現れるたびに、保育士がその親に対し、
「早く精神科にかけて、リタリン(後述します)を処方してもらうように」
と促すことが多くなってきているとのことです。

これは精神科医の私からみても、明らかに異常事態です。

子供の目の位置にまで目線を落とし、
子供の立場を理解し代弁しなければならない人々が、
このようになってしまうような社会環境を
日本にも作ってはいけないのではないでしょうか。

そのため、<程度の違い>を根拠とする疾患の判定は、
より厳密なものでなくてはなりません。
私たち専門家も常に自戒が必要であるし、
ユーザーもこの点の理解が必要なのです。

とはいえ、あなたのお子さんぐらいにまで、問題が大きくなっている
ケースでは、児童専門の精神科医に診せた方がいいでしょう。

(児童精神科医は、社会的ニーズが大きくなっているのもかかわらず、
慢性的に不足しています。予約してから初めて受診するまでに、
数か月もかかるというようなことがザラにあります。
緊急を要する家族にとっては、頭の痛い問題です)

医療機関のような第三者の援助を受けるべき要件を、
このケースは十分満たしています。
(相当苦労して、この子を抱えようとした跡がうかがえますから)

精神科での治療は多岐にわたります。
しかしここではとりあえず、
ADHDの一般的な薬物療法についてお伝えします。
(精神療法的関わりについては後述します)

衝動性のコントロールに、中枢神経刺激薬のメチルフェニデート
(商品名リタリン)を使用します。
これはドーパミンという脳内の神経伝達物質の放出を
うながす作用があるとされています。

これは著効を示すをケースが3分の1、
軽度の症状改善がみられるケースが3分の1、
そして残りの3分の1が効果なしであると確かめられています。

ただしこの場合の処方は、健康保険の適用ではないということ、
そして仮に著効する場合でも、長期の使用で依存性が生じ、
副作用として幻覚が生じたり、
禁断症状が起こりうるということは知っておく必要があります。

(そのため、まず使用するか否かの判断、
そして使ったとしても、その使用期間と”やめぎわ”が重要になります。
児童精神科医とよくご相談ください)

さらに衝動が強い場合には、強力精神安定薬のリスペリドン(リスパダール)
やクロルプロマジン(コントミン)などを用いるといい場合があります。

(注:強力精神安定薬はどちらかというと、
先述のドーパミンの放出を抑える作用があるとされます。
だとするとメチルフェニデートが効くことと矛盾する訳ですが、
実際には、これらの薬物は
ドーパミン以外のもっといくつもの神経伝達物質がからんでいることが
予想され、精神薬理学でもいろいろな仮説が立てられていて、
まだ決定的なものは提出されていません。

向精神薬の場合、効果が確かめられたかなり後から、
その薬理学的メカニズムがわかることが少なくありません)

また抗躁薬の炭酸リチウム(リーマス)、そして
抗てんかん薬のカルバマゼピン(テグレトール)や
バルプロ酸ナトリウム(デパケン)を使用するといい場合もあります。

ただ繰り返しますが、
これらの薬物は衝動性のコントロールにしか効果が期待できません。
よって、治療においては副次的な意味しかありません。

さて、<私たちはどうしていけばいいのでしょう。>というご質問ですが、
これはおそらく上記のような答えを求めてのものではないと考えられます。

いや、ご質問というより、途方に暮れた末の嘆き、
ひょっとすると慟哭に近いものであるかもしれません。

誤解を恐れずにいえば、
”うちの子は、まるでエイリアンなのではないか”
との不可解の極まった思いを抱えていらっしゃるのだと思います。

でもここでは、なんとか理解するように努めてみましょう。
それはこれまで何度も何度も挑戦されてきたことに違いないのですが。

到底理解が及ばないという”諦め”、
親が自分に対しこういう気持ちを持っていることは、
こんな幼い子でも必ず気づいていますし、
同時にそのことで深く傷ついているものです。

もちろん生まれつきの”おこりんぼ”かもしれませんが、
この”おこりんぼ”にもそれなりの理由があることが多いのです。

もともと、自分の思いを言葉にするのが苦手で、
いらだつとすぐ手がでてしまうというパターンの繰り返し。
こんなことをしていると、コミュニケーションの能力が一向芽吹かず、
いよいよ未成熟なまま時が過ぎていってしまう。

親に甘えたいがうまく甘えられないもどかしさ、
どうせ僕なんてだめなんだ、というような自棄的な思いを
うちに秘めていても、やはりそれはうまく表現されえない。

えーい、どうにでもなれ、と暴れると、親たちはあわてふためくことになる。
家中にみなぎるこの緊張感がたまらない、とてもスリリング。
それにこうして暴れれば僕の思い通りになる。

この対人操作性・”あまのじゃく”性
(人の嫌がることをあえてする快感!)
をひとたび身につけると、なかなか厄介です。

でも見どころのある点がひとつある。
この子は、”公共の場ではそれなりにおとなしい”とのこと。
一般的なADHDは、うちではいい子で、外でむちゃくちゃする。
この子は逆ですね。
少々社会性はあるようです。

そこでお父さんの登場です!
(ご相談内容にはお父さんがでてきませんが、
ここではいらっしゃると仮定してお話します)

父の一番大切な役目は、実は今も昔も変わりません。

「社会の”掟”を体現する」、これにつきます。

(異論があるかもしれませんが、私は受け付けません。
お料理上手も、家族サービスに熱心なのも、
そのお父さんの”美点”ではありますが、
父であるための必要条件とはなりません)

お父さんが体を張って、息子に”悪いことは悪い”と伝えるのです。
そしてこういうときのお母さんであるあなたの役割、
それはハラハラしながら見守ること!

これでうまくゆかないことは、
家族内で処理しきれないことなのだと思い定めることです。

そうなるとお父さんはまったく損な役回りなのですが、
まあ父なんてそんなものです。
(死んでから息子に感謝をもって偲ばれるでしょう)

まあ半分冗談、半分本気のコメントですが、
あんまり頭が煮詰まるとうまくいきません。
いつもこころに、若干のユーモアを。
健闘祈っています。



熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
臨床感覚の広場のサイト:http://www.dr-kumaki.com/

『電話の奥で殴られる彼女』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

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『電話の奥で殴られる彼女』

        ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(7)~
           

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Q:初めまして。私は38歳、会社員の女性です。

先日、友人女性より深夜にSOSを受けました。

慌てて電話をしたところ、
辛うじて通話ボタンが押された先では
激しい興奮状態の怒声と彼女が殴打される音、
物が破壊される音等が聞こえ、
大変な状況を中継の如く目の当たりにしました。

以前より、夫からの暴力に悩まされている事は
知っていたのですが、この日は首を締め殺されかける
という緊急事態に達した様でした。

状況を知り咄嗟に110番しようかとも迷いましたが
その前に少しでも先方の状況を確認出来ればと
通話を何度もトライしました。

漸く繋がると、何とか無事が確認出来た為
110番への連絡は思い止まりましたが、
こういう緊急事態に瀕した時、友人として
自分がどう対処すべきだったのか、
今も悩んでいます。

心理学的に言えば、彼らは強度の共依存関係と
思われます。

妻は何度も夫に殺されかかりながらも、別離することが
出来ません。

「悪いのは全て自分」と思い、ひたすら耐えています。

こんなにされてもまだ夫の事を愛しており、
いつもやり直すことを試みては殴られる連続です。

典型的なDVと言えばそれまでですが、
傷つき易いその方様に「精神科医の受診」をお薦めする事は、
妻に対して「おまえ何を言った」という
事態にも成りかねず、心配です。

「DVカウンセラー」に相談することも考えていますが
爆発時には、精神科医の先生でなければ、
対処出来ないのではないかとも思います。

正直「精神科医に相談する」と「カウンセラーに相談する」の
判断の付け所が分らないのです。

また友人として、DVの恐怖感から
判断力をなくしている友人をどう、
医師やカウンセラーの元へ導けばいいのか
何かアドバイス頂ければ幸甚です。

こういうケースには「巻き込まれない方がいいよ」
と言う友人もいます。

でも偶然そういうシーンに直面して、
傷ついている人を目の当たりにして
私はそれを見過ごすことができません。

私自身がかなりショックを受けているので、
支離滅裂な文章になってしまい恐縮ですが、
こういうタイミングでこのサイトを見つけたことも
何かご縁なのではないかと思っています。

アドバイス頂ければ大変嬉しいです。
宜しくお願い致します。


A:まず話を少し整理する必要があります。

このような入り組んだ話を取り扱う場合、
次のことをはっきりさせなければなりません。

ここでは一体、誰が何に困っているのか
(どうしようもなさそうなときは、
まず困っていることをハッキリさせることで道が開かれます)。

それに対し、具体的にどのような助けが必要になるのか。

実際その助けをもたらすことは可能なのか。

ここでの”登場人物”は3人、
夫・妻、そしてその友人であるあなたです。
この各々について考えると、道筋が見えてきます。

まず夫についてですが、この人物は妻に暴力を振るうという
「他害行動」をする人物という以外、
どんな人物であるか判断しきれません。

ただあなたがその妻から、
絶えず夫の暴力に悩まされつづけているとの情報がありますから、
理由はわからないものの暴力の常習者であることは明らかです。
あなたのいわれるように”典型的なDV(ドメスティックバイオレンス
/家庭内暴力)”だと思われます。

しかし彼は、ここでは”困っている人”ではないようです。
しかしもし、身近な人にでも、「俺は自分で暴力を振るうのが
止められないんだ。なんとかならないだろうか」
と打ち明けていたとしたら、一応”困っている人”で、
協力する余地があります。

ただしこの場合でも、あくまで”自助努力”で何とかするしかない
訳で、彼の承諾のもと、誰か権威のある(偉いという意味
ではありません、行動を抑止する社会的権限を持つという意味です)
他者に”管理”してもらうぐらいしかありません。

例えば、暴力を振るったら何らかの”罰”を加えられる、
そのようなシステムに自らが組み込まれることを承認する
ような”契約”を、彼がその権威ある他者と結ぶということです。

ただ容易に想像できるように、このような”契約”を結び、
自らの素行を改めようと努める暴力夫など、実際はほとんどおりません。
それほど社会性のある人物なら、常習的に暴力を振るい続けることは
そもそもしないはずですから。

ついでにいうと、こういった人物の振るう暴力はほとんど
”嗜癖(やると快感が伴いエスカレートしていくタイプの癖)”的なもの
ですから、簡単にはやむことはありません。
(極端なものでは、暴力を振るうと射精するようなタイプもいます)

次に妻についてです。

彼女は何に困っているのでしょう。
殴られて痛いこと?下手すると殺されそうなこと?
一見、彼女の困り具合は納得できそうですが、
そう単純なものではありません。

このタイプの女性は、アメリカでは
”バタードウーマン(殴られ女、の意)”といわれ、
日本でも徐々にこの言葉が浸透してきています。

概して「自尊感情」が低落していることが多く
(幼少期、身体的・性的虐待を繰り返し受けてきているケースが多く、
自らが”生きていてもよい”といった”自己肯定・容認”が
できなかったり、普通に暮らしていくなかでも”安全感”が持てない
というような精神の病理が重い人が多い印象です)、
「私が悪いの」「殴られても仕方ないの」
「彼はかわいそうな人なの」「私が彼を何とかしないと」
などが口癖になっている人が多いです。

奇妙なのですが、このタイプの人物の”殴られ”も、
”殴る”場合ほど直接的ではありませんが、”嗜癖”の一種といえます。

「殴られることが快感につながるなんて、そんな!」という方もいる
でしょうが、「いずれダメな彼を私が立派にしてみせる」といった
”メシア(救世主)願望”をうちに秘め、
「殴られるのも、この目標を果たしきれていない私に
下される当然の”罰”」
などというような解釈を持つ傾向があるのです。

ですから、周りに「困った」「困った」という割には、
それほど深刻味がなかったりするのです。
本当に困っているなら、”殺されそう”になったとき、
電話できるのであれば、あなたにではなく警察にするでしょうし、
その前に逃げ出しているでしょう。

あなたのご指摘のとおり、
これは”強度の共依存関係”に違いありません。
この夫はこの妻なしでは生きていけないのだし、
妻の側にしても然りです(暴力夫も幼少期に虐待を受けてきている
ことが多いので、お互い共感できることが多いということも、
その絆を強めているかもしれません)。

この妻にしても、回りが思うような困り方をしていない
(”自分自身”については困っていない!)ので、
回りが助けようとしてもどこかピントはずれになってしまう
ことが多いでしょう。

”共依存関係”は、その当事者にとり、
あたかも”信仰”のようなものです。
場合によっては”洗脳”されているのと変わらないような状態に、
なっていることさえあります。

某新興宗教から離脱させるため、行われた脱洗脳が一時期話題に
なりましたが、彼らに問題のありかを自覚させるためには、
これと似た専門的アプロ-チと途方も無い忍耐の過程が必要になります。

実際には、当事者が「ほとほと懲りた」といいだすのを
待つしかないのではないでしょうか。
そうでなければ、精神科医にせよ、DVカウンセラーにせよ
成す術がありません(本人が本気で相談してくるなら、
精神科医でもカウンセラーでも相談者はどちらだって構いません。
ただその資格の問題より重要なのは、
その問題に取り組もうとする”熱”があるかどうかでしょう。
一般に考えられているより、個々の医師・カウンセラー間に、
この問題に対して相当”温度差”があることは知っておくべきでしょう。
メディアなどで、DVについて積極的に提言している人々なら
一応確かでしょう。
あと物理的な問題をいうなら、
精神科医には病棟と薬物といった”道具”を持っていますが、
カウンセラーは身一つですので、そこが違うといえば違うところです。
ただし、”道具”があるからといって決して万能ではありません)。

それに残念ながら、この夫は最後は警察のお世話になるしかない
と思います。素行が悪くても、自戒する気持ちが持てなければ、
精神科でも治療にならず、結局法で制御するしかないからです。
結局そこで彼も「懲りる」ことができるかどうかです。

では翻って、あなたはどうでしょう?

こんな入り組んだ話を聞いてしまったばっかりに、
こんな面倒なことに巻き込まれてしまった!?
いや、そんなことは微塵も考えられていないはずです。

本気で彼女を助けてあげたいというあなたの気持ちは、
相談内容からも痛いほど伝わってきます。
DVについても、素人の域を超えた知識をお持ちだし、
このカップルの持つ病理についても、冷静な判断・対応が伺えます。

では、あなたが本当にお困りなのは何でしょう。


<でも偶然そういうシーンに直面して、
傷ついている人を目の当たりにして
私はそれを見過ごすことができません。

私自身がかなりショックを受けているので・・・>


こう言われているのだから、あなたのこの受けた”ショック”こそが
問題で、これを解決すればあなたについての問題は終了・・・
といくでしょうか。
すなわち、この夫妻への対策こそが今回のご相談の肝であって、
あなたの受けた”ショック”は、
それの”おまけ”みたいなものなのか、ということです。

「巻き込まれない方がいいよ」という友人の忠告に耳を貸しながらも、
「私はそれを見過ごすことができません」と決然と態度表明されるあたり、
あなたは、この夫妻のことを”他人ごと”として見て見ぬ振りすることは、
道義的に許されることではないとお考えのようです。

しかし、電話口での友人夫妻の修羅場を耳にして、こころ掻き乱され、
一生懸命知恵を絞ろうとしてしまうとてもデリケートなあなたに、
”ショック”を与えているのは誰でしょう。
あなたの友人(妻)ではないのですか。

あなたは、”偶然”このようなシーンに直面したのではありません。
先ほど指摘したように、
彼女はあなたにではなく警察に電話することだってできたのです。

彼女は一緒に”ハラハラドキドキ”してくれる相手として
あなたを選んだのです。

共感能力のとりわけ高いあなたとシンクロできることは、
言い方悪いですが、彼女の一種の”快楽”につながっています。
劇場で、悲劇のヒロインを演じているその陶酔と似た感情です。
あなたの感情が波立ち昂ぶるほど、
彼女はこのような陶酔に浸ることができます。

この指摘はあなたにとり”ショック”なことかもしれませんが、
”共依存関係”はあなたと彼女の関係にまで広がっています。
そのため、もしあなたが彼女に真剣に関わろうとすればするほど、
ますますあなたは困難な事態に”遭遇”するようになるでしょう。

その点については、彼女のみならずあなたも”判断力をなくしている”
のではないでしょうか。

”共依存関係”は伝染していきます。
これはこういったタイプの患者さんと精神科医に間においても然りです。
このような関係においては、
その当事者が”本当に困っていることに気づきにくい”ということこそ
、実は本当に困ったことなのです。

これはおせっかいなことかもしれませんが、
あなたご自身は大丈夫なのですか。
気丈に友人を支えようと”ホットライン”まで提供し、
深夜にもかかわらず、友人の訴えにひどく動揺しながらも奔走する、
そんなあなたは大丈夫なのですか。

ひとつ”ヒント”を差し上げます。

一部の奇特な精神科医を除き、ほとんどの精神科医は
患者さんとの”ホットライン”を設けていません。
それはごく少数の”非常に手のかかる”患者さんに
打ち沈められぬための大切な処世術です。

これは決して不誠実なことではありません。
他の大多数の患者さんを放り出してしまうことの方が、
よほど不誠実です。

人を救うために、身を挺してはいけません。

自分を救えない人は、人を救えません。





熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
臨床感覚の広場のサイト:http://www.dr-kumaki.com/

『僕は不幸の星のもとに生まれた』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

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『僕は不幸の星のもとに生まれた』

           ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(6)~
           

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Q:31歳の男性会社員です。

どうも僕は不幸な星のもとに生まれているような気がしてなりません。

もとはといえば、中学の担任の先生がみんなの前で僕にいったあの一言が、
これほどまでに僕の人生の歯車を狂わせてしまったのです。

「おまえのエロ本、机の奥にはいっとったど」

この一言でみんなの僕を見る目が変わってしまい、
とても傷つきやすくなってしまいました。

気になる女性が僕に振り向いてくれないのも、
心理士になりたいため受けた大学にすべってしまったのも、
みんなあの言葉のせい。
できることなら、人生のあの瞬間まで巻き戻したい。

本当の僕のことを理解してくれる心理士と出会うため、
あちこち彷徨っているけれど、真の理解者にはまだ出会えません。

僕からみれば、これまで僕を担当した心理士は
僕の深さを知るには少し役不足だったことを悟っています。
みんな女性だったし。女性は僕が親しくしようとしているのに、
いつも距離をとろうとして、とてももどかしいのです。

でも熊木先生は男性精神科医。

これからの僕に何かいいヒントくださいませんか。


A:残念ながら私も、他の臨床心理士同様、
あなたの真の理解者になれないかもしれません。

あなたにとって”女性”とはなんなのでしょう。

あなたの不具合なことにすべて眼をつむり、優しく包み込んでくれる人?
あなたが起こすあらゆるモーションを、従順に受け止めてくれる人?
「本当の僕」に理解を寄せるよう努めるべき人?

残念ながら、そんな都合のいい女性はこの世におりません。

あなたが気になろうが、親しくしようとしようが、
あなたに関心を寄せなかったり、距離をとろうとするのも、
すべてがあなたからの一方通行であるからです。

それに気づかぬあなたは、回りから見ると、
滑稽な存在であるか、もしくは薄気味悪い存在です。

それから”女性というもの”をトータルで括りだして論じるのは、
コミュニケーション能力の貧困を露呈しています。

一部の老人に、”最近の若者は・・”と
すぐ一般化して言いたがる人がいるでしょう。
それと同じで、こういう話はあまり回りに説得力を持ちえません。

それから根底に”女性に対するアンビバレンツ”がある
ように思われます。
好きなのに嫌い、それはデリケートな僕を傷つけるから、と
いったところでしょうか。
通常思春期あたりで越えておくべき課題、
この年ではちょっと”イタい”です。

あなたにとって”心理士”という職業はなんなのでしょう。

「本当の僕」を理解してくれるべき職業?
これからの僕にいいヒントをくれるべき職業?

残念ながら心理士は、仮にあなたを理解していたとしても、
あなたに満足を与えるような態度を取らないでしょう。

あまのじゃく? そうです。

自己陶酔の強いあなたのその酔いに、拍車をかけるようなことはせず、
少し(場合によっては多量に)水をさすのが、心理士のモラルです。
優しさだけが人を救うのではありません。

そしてなぜ、あなたはその”心理士”を志したのか。

”かわいそうな僕”を救うためではないですか。

やっぱりあなたは心理士なぞにならなくてよかったのでは?
なれば、ますますもって救い難くなってゆくところでした。
人を救うと自分も救われる、という考えは
あまり健全な態度とはいえません。

「本当の僕」って何なのでしょう。

女性心理士には見通せないその「深さ」とは?

あなたの”沼”は濁っていて、
一見底が見えないということに過ぎないのでは?
底が見えて、探るものがなくて(あるいは、探る気がなくて)、
それ以上掘らないだけかもしれません。
(私も忙しい診察室でなら、ここまでおせっかいに掘ったりしません)

もういいでしょう。

「あれさえなかったら」と20年間真剣に思い続けたあなたが、
滑稽さを通り越して、哀れでさえあります。
これまで誰にも承認してもらえなかったあなたは、
確かにとてもかわいそうです。
しかし、自分ばかり損をしてきたという鬱屈した不平感を抱き、
粘っこく引きずってきたあなたは、はたから見て”かわいげがない”のです。
これは女性のみならず男性からみても、共通の感想だと思います。

ひとつだけ”ヒント”を差し上げます。

あなたが本当の意味での羞恥心(この意味、わかりますか)を
持てるようになり、自分のおかしさを笑えるようになれば、
それがあなたのブレイクスルーのきっかけになるでしょう。

ここまで私が施した、あなたの心性の解釈と
今後への提案(いや、おせっかい!?)は、
ひょっとすると、あなたに唾棄されてしまうものかもしれません。

それならそれで結構、しかしよく考えてあなたの態度をお決めください。

今後年を経るごとに、あなたへの諌め手はどんどんなくなって、
このままでは誰にも相手にされなくなるでしょうから。




熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
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『警察が私を陥れようとする!』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

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『警察が私を陥れようとする!』

        ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(5)~
           

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Q:うちのおばについてご相談します。

現在58歳ですが、20年もまえから、
「警察が私を陥れようとする」という妄想をもっています。

それを親族がいくら否定しようとしても、
あるいは説得しようとしても、
決して納得せず、この妄想は変わることはありません。

理屈立てて丁寧に説明すると、一旦受け入れるのですが、
再びその理屈を覆すような、屁理屈
(私たちにはそうとしか思えません)をこね出し、
結局は「警察が何かをたくらみ、私をつけねらっている」
という話になってしまいます。

もともと頭のいい人で、警察がらみの話でなければ、
いたって普通の会話ができるため、
なかなか回りの人に異常がわかってもらえません。

このところ、妄想はますますひどく、
近所に警察中傷のビラをまく、裁判所に電話をかけるなど、
異常行動がエスカレートしています。
精神科につれていこうにも、本人は自意識が持てないため、
決して応じてくれません。

親族はほとほと困り果てています。
どうしてゆけばいいのでしょうか。


A:なかなか難しい問題です。

このようなタイプの方の場合、今回のご相談もそうであるように、
まず家族親族が大変困ります。

頭もよく、普通の会話が通じる方ですから、
この妄想にからむ問題を除いては、
一応善悪良否もわきまえていることが多く、
自らの”信念”も誰彼となく明かしたりはしません。
その”信念”が否定されるのも、それとなくわかっているのです。

そのため、”信念”の顕在化まで、相当時間がかかっており、
その内容を家族などに口にしたころには、
ほぼ完全にストーリーができあがってしまっています。

ここでは「20年前から」と書かれていますが、
本当はもっとずっと昔にその種は芽をふいてきていたのだ、
と考えるのが妥当です。

このようなタイプは、特有の性格に起因する
一種の精神障害とみなすことが多く、
従来精神科では「パラノイア」と呼びならわしてきました。
最近の診断基準では「妄想性障害」と呼んでいるものに、
ほぼ合致します。

「パラノイア」では、体系妄想が特徴的です。
体系妄想とは、営々とストーリーが築き上げてこられ、
揺るぎなくなった妄想のことです。

これは、統合失調症などの妄想とは質的に異なります
(統合失調症の場合、あちこちに様々な兆候をかぎとり、
それに場当たり的な意味づけをしていく、
感覚優位の妄想が特徴的で、
これはしばしば幻覚と区別しがたいものであったりします)。

むしろ、うつ病に付随することのある心気妄想
(自分はひょっとしてガンで、
もう死ぬんではないかといったような妄想)・
貧困妄想などの微小妄想(要するに、自分はダメだという妄想)
と質が似ているというような指摘がされてきています。
(このあたりの議論は、かねてからの精神医学の「難問」で、
諸説紛々といったところです。
まあしかし、一般の読者の方には
あまり関係のないことでしょう)

「パラノイア」の患者さんは、
発症する前の性格にも、一定の傾向が見られます。

他人に対する警戒心がことのほか強く、頑固、
何にでも徹底した姿勢でのぞむ完璧主義者が多いようです。

もともと、何ものかに対しての強い恐れ
(当初は漠然としたものでしょう)があり、
それが発症要因になっているものと考えられます。

誰かが私を陥れようとするというような被害妄想に
発展するパターンが一般的で、
警察などの”わかりやすい”権力機関が
そのターゲットにされやすいです。

妄想に基づく異常な言動は、
このような”不届きな”権力機関に対しての
いわば”逆襲””正義の鉄槌”といった感じです。

実際のところ、警察もこういった患者さんを
捕まえるわけにゆかず、対応に苦慮しています。

このような患者さんに対しての説得は、
おおかた徒労に終わります。

一見、理を尽くせばわかるようなそぶりを見せるので、
家族は一生懸命筋道だてた説明を繰り返すことが多いですが、
やはりダメです。
ただ、説得が有害であるというほどのこともありません。

「あなたは異常な状態だから、病院へ行かなくてはいけない」
といっても、同様に納得は得られないでしょう。
「変なのは警察の方」なのですから。

仮に、家族の顔を立てて、一緒に精神科に行ってくれた
(この方の場合のように、行ってくれないことのほうが
多いですが)としても、
出された薬をなかなか服もうとはしないものです。
場合によっては、病院や精神科医は<わるもの>で、
毒を盛られているかもしれない、なんて考えていたりします。

先ほどいいましたように、権力機関が私を陥れようとするのだとしたら、
いわば精神科も権力機関、私に害を加えるかもしれない、
そう思ってしまうこともあるのです。

そのためこういった患者さんは、初めて連れてこられた精神科でも、
猜疑心をうちに秘め、初見の精神科医に対し少し身構えています。
いいやつか、わるいやつか、敵か味方か、見破ろうとしているのです。

ところで、このタイプの患者さんは、他人を自分の敵か味方か、
白黒をハッキリつけようとする習性があります。
灰色はありません。
こうして他人の属性を単純化してみることで、
心の安寧を得ているのでしょう。

ただ、ちょっとした一件をきっかけに、
白が黒にひっくり返ってしまうことが、ままあります
(治療の途中で、味方だと思っていた精神科担当医が、
実は敵の回し者だったと”気づく”ことも、しばしばあります)。

では、いやがるのにどうしても精神科に
連れていかなくてはならないとき、どうすればいいか。

病院へは騙して連れてきてはいけません。
これがきっかけになって、より回りに対する猜疑心を強め、
ますます処遇しがたくなるからです。

昔なら家族が説得を重ねた末、どうしても精神科受診・入院の
同意が得られない場合、
例外的ではありますが、精神科医の自宅への往診、
および精神病院スタッフ複数名による強制搬送という手立て
がありました。
しかし今は、より細やかに人権への配慮をしなければならない
時代の趨勢から、このような往診はほとんど行われなくなりました。

これは悪いこととはいえませんが、
困っている家族は以前より増えているものと予想されます。

ただし、家族の悩み相談(これはウソではありません!)として、
患者さんに同伴させることができなくはありません。
しかしそれにしても、患者さんに薬を服んでもらうとき、
あるいは入院してもらうとき
(本人に病気であるという自己認識がなくても、
家族などの同意に基づく医療保護入院は可能です)には、
同等の困難を伴います。

仮に入院がうまくいった場合。

このタイプの患者さんの抱く妄想は、
一般に統合失調症の妄想に較べて、
治りが悪い(薬物が反応しにくい)印象です。

でも発症初期であれば、少量のメジャートランキライザー
(強力精神安定剤)が効く場合があります。
入院などして、長期服用すると、
完全によくなるとまではいかないものの、
それなりに落ち着くこともあります
(これは入院中あきらめて、
”あがく”のをやめるからかもしれません)。

ですが、そのため意外に早く退院になることが多いのです。
良くなれば外来通院になるわけですが、
そこで自主怠薬してしまい、
もとに逆戻りというケースを多く目にします。
それゆえ入退院を繰り返しやすいのです。

何度治療的入院を試みてもうまくいかないとなると、
最終的には社会防衛的入院
(要するに、迷惑防止のための入院)しかありません。

患者さんが年をとる・病気をするなどして、
その”エネルギー”が減衰するのを
待つしかないこともあります
(こんないいかたは何ですが、この方ももう58歳、
まもなく”エネルギー”減衰が訪れるかもしれません)。

いずれにしても、長期にわたる精神科との連携が
必要となる場合が多いので、
お近くの精神科へ(家族だけでも)一度出向かれることを
おすすめします。
やはり、そこがスタート地点です。




熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
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『5分ごとのナースコールで病棟パニック』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

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『5分ごとのナースコールで病棟パニック』

           ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(4)~
           

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Q:今年3年目になる内科看護師です。

ここに相談するのは場違いかもしれませんが、
先生のご本『精神科医になる』の4章にある
「看護婦の内なる葛藤」を読んで、
わかってもらえるのではないかと思い、
思い切って尋ねてみることにしました。

患者さんは70歳、男性。
脳梗塞を患われた後、後遺症が残ってしまわれた方です。
家族が懸命に介護されたけれど、疲れ果て、
私たちの病院にやってきました。

入院するなり、まさに5分ごとのナースコール!
呼ばれて駆けつけても、まるで何もなかったように
しらばっくれています。いくらいけないと説明してもダメです。
言葉が理解できているのかいないのか、定かではありません。
たまに応じないと、ベットから転がり落ちようとします。

また、この方のコールだけでなく、
他の患者さんのコールも同じ音色なので、
本当に緊急のコールに対して適切に対応できなくなるのではないか、
という心配もつきまとっています。
そのためいつも看護師たちはビクビクしどおしです。

挙句、この患者さんの看護をめぐって、
病棟でスタッフ間の対立が起きてしまう始末です。

みんなあれこれ思案していますが、いい考えが浮かびません。
スタッフみんながとても疲れてきています。
どうしていけばいいでしょう。お教えください。


A:このケースでは、いろいろ複雑な問題が絡み合ってきています。
まずそれをいくつかの要素にほどいてみましょう。

(1)この患者さんには、どこまで話が通じているのか。
そして、どこまで言って聞かせることが可能か。
(2)具体的にスタッフはどう対応すべきか。
(3)スタッフ自身のこの患者さんの<受容>の問題。家族との関係は?
 
まず(1)です。

不幸にも脳梗塞になりその後遺症をひきずる患者さん、
こういった方は結構たくさんおられます。
しかしその症状の出方は一様ではありません。
それは、障害された脳の部分に応じたものだからです。

身体の各所にマヒが起こってくる場合、そして痴呆が起こる場合もあります。
このような痴呆を「脳血管性痴呆」と呼び、
症状の出方の特徴から「まだら痴呆」と呼ぶこともあります。

(有名な「アルツハイマー性痴呆」は脳全体の機能が減退することが多く、
初期症状が「脳血管性痴呆」と異なります。
「まだら」というのは「アルツハイマー性痴呆」の症状発現の形と
比較してそういうのです。
上に挙げた2つの痴呆は代表的なものですが、
もっと違ったタイプのものもあります。
けれども、症状が進むといずれの痴呆も似た病像を呈するようになり、
だんだん区別がつかなくなってゆきます)

この患者さんも何らかの痴呆はあるようです。
ただしご質問内の記述では、脳のどの部分が障害され、どの程度のものか、
にわかには判断できません。

この場合、脳機能障害の程度を知るために
「神経心理学的検査」が施される場合もあります。
ひょっとすると、あなたの病院でも既に行われているかもしれません。

この「神経心理学的検査」、これまで精緻に積み上げられてきた体系があり、
ある程度信頼性が確保されているのですが、ひとつ大きな弱点があります。
それは患者さんが検査に”意欲的”に取り組んでくれないと、
脳障害の程度が正確にデータとして反映されてこないのです。
すなわち脳に”意欲”の障害がある場合や、単に患者さんにやる気がない場合、
あまり意味がない訳です。
ですから、実際に臨床現場で役にたつ情報は、
家族やスタッフがコミュニケーションをとった上での「実感」
しかない場合もよくあります
(このケースは、そのような場合にあてはまるのではないでしょうか)。

ところでこの患者さん、
<何か>は通じていますよね(それはお分かりだと思います)。
けれど、<何か>は通じているのに、スタッフは思うに任せない。
なんともいえないジレンマがある訳です。
これは「植物状態」の患者さんに対してあるであろう<通わなさ>とは
違う種類のものであるはずです。

[入院するなり、まさに5分ごとのナースコール!
呼ばれて駆けつけても、まるで何もなかったように
しらばっくれています。いくらいけないと説明してもダメです。
言葉が理解できているのかいないのか、定かではありません。
たまに応じないと、ベットから転がり落ちようとします。]

この記述でも分かる通り、あなた達スタッフは明らかに苛立っており、
患者さんは自分が意図的に相手を苛立たせていることを理解しています。
この<あまのじゃくさ加減>は、ほんと小憎らしいほどです!

ただこのようないびつな形でしか構ってもらえない(と思っている)
この患者さんの不幸はいかばかりでしょう!
まず、この点を理解しておく必要があります
(スタッフが患者さんをどう受容するかという問題については、
後述します)。

したがって、この患者さんはスタッフのいうこと
(少なくとも、スタッフの示す表情がもつ意味)は
ある程度理解しているはずです。
現時点では、この<あまのじゃくさ加減>ゆえ”言って聞かせる”のは
逆効果になるでしょう。

(2)と(3)は互いに関連のある問題です。
というのも、患者さんへの”ふさわしい対応”を決定づける要素として、
スタッフ自身のこころの持ち方が重要になるからです。

この点において、拙著『精神科医になる』の第4章の記述が関わってきます。
つまるところ、「しつけるか」「暖かく包み込むか」を決めるには、
何が正しいかではなく、
何が関わった人々(ここには家族はもちろんのこと、スタッフも含まれます
)のこころの安寧につながるかということこそ肝心なのです。

家族が、矢折れ弾尽きたため、かわって戦線に赴くというのではなく、
お互い<愚痴>を言い合う機会が持てるといいと思います
(主治医がその中に入ってくれると、なおいいでしょう)。

患者さんの悪口をいうのではありません、<愚痴>を言うのです!
これこそ許容できにくい理不尽を許容するための処世術です。

患者という名詞は、英語にすると”patient ”
すなわち我慢強いという形容詞になります。
大概の患者さんがあらゆる意味で我慢強く、
われわれ医療関係者も当たり前であるかのように、そのことに甘えています。
このようなケースは、そのことに気づかせてくれます。

いかなる患者さんも、われわれに都合の良いようには、我慢強くありません
(もちろん、この患者さんだって別の意味での我慢をしています)。
ある意味、われわれを鍛えてくれているのかもしれません
(もうひとつ重要なことを付け加えるなら、
いかなることもエンドレスではありません。
スタッフにとっても、家族にとっても、そして患者さんにとっても)。

最後に先述したように、こういったケースの対処に
あまり”戦略性”を持ち込んでも成算はありませんが、
迷走状態にある不安から抜け出すために、
今後どうしていくのかという”目安”を確認するのは悪くないでしょう。

ただそれは患者さんのためにではなく、
あなた達スタッフのために、ということです。
そしてそれはあくまで”目安”であり”目標”ではありません。
くれぐれも完璧を目指しすぎませんよう。



熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
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『主治医を好きになったOL』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

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『主治医を好きになったOL』

        ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(3)~
           

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Q:私は23歳の独身OLですが、
「うつ病」で今精神科にかかっています。

ところが病気以外でとても大変な悩みを抱えてしまいました。
担当の先生のこと、好きになってしまったのです。

先生は32歳、独身です。
私から告白したのですが、
先生は「君を好きにさせてしまった僕に責任があるから、
僕がなんとかする」と返事をくれました。

それから何度かデートを重ね、とうとう深い仲になってしまいました。
いまでは先生を思わない時間はなく、病気がなおってしまうことを
密かに恐れるようにまでなってしまいました。

今後どうしたらいいのでしょう。
先生は「先のことなんて考えなくていい」というのですが。
そもそも先生を好きになった私がいけないのでしょうか。


A:まったくもって困ったことですね。

妙齢の男女がそれぞれ好きになったのだし、
それもお互い独身なのだから、
「構うことはない、愛を貫き通しなさい」
なんて言えればいいのですが、やはりそうはいかないのです。

ところで、あなたはきっと”普通”に先生を好きになった
のでしょうが、それは本当に”普通”の恋愛だったのでしょうか。

好きになった今となっては、その当時のことを省みることは
できないでしょう。
しかしもし、あなたがその主治医に初めて会ったとき、
病院で白衣を身にまとってたたずんでいなかったら、
コンビニでよれよれのTシャツにジーンズといった出で立ちで、
ボッーと雑誌なんか読んでいたのだったら、
それでも彼を好きになっていたでしょうか。

病院という特殊な環境で、白衣という権威の象徴を目にしたとき、
その頼もしき異性の精神科医に
恋心に似た気持ちを抱くようになることは
実はそう珍しいことではありません。

患者さんが医師などにある感情を抱くことを、
精神医学の現場では「転移」と呼んでいます
(特にそれが好意であるならば「陽性転移」、
悪意の場合は「陰性転移」といいます)。

「転移」は、過去にその患者さんが関わった重要人物のうちにあった
何らかの要素が投影されているのだ、と精神分析などでは説明して
います(ここら辺は少し難しいので分からなくてもいいです)。

あなたの純粋な恋心に、精神医学的な説明を加えるなんて、
まったく無粋の極みです。
だが、この件については無邪気なまま放置しておくと、
治療関係がこじれて、にっちもさっちもいかなくなります
(現にもうなっているようです)。

問題はあなたにあるのではなく、
もちろんこの主治医の側にあります。

この医師が「転移」という事態を知識として知らなければ、
不勉強のそしりを免れません。
そして仮に、「転移」を知っていて
現状の問題に対しても自覚的であるにもかかわらず、
改めようとしないのであれば、大変な悪意の持ち主だといえます。
いずれにせよ、ろくなヤツではありません。

患者さんの側に「転移」が起こることは
しばしば不可避ではありますが、精神科医の中にも
それとなく”誘惑”するような不届き者がいるかもしれません。

でももし良心的な精神科医なら、
まず”誘惑”的な仕掛けはしないでしょうし、
もし患者さんの告白を受けてしまっても、
冷静に次のように諭すのではないでしょうか。
「あなたの好意はとてもうれしいが、
付き合うとかそういったことはできない。
それは治療関係という特殊な環境だからこそ芽生えたものだ
ということに、あなたも気づいてほしい。
白衣を着た私でなく、コンビニで雑誌のページをめくる私に
あったなら、きっと"ただのアンちゃん"だとしか
見えなかったでしょう(笑)」

あなたとこのようになし崩しの関係を形成し、
これで”責任”を果たしていると考えるこの医師の現実認識は
とてもいびつなものですし、
今後信頼関係を作っていけるとは到底思えません。
欲望のおもむくまま(?)にあなたを利用している、
そんな感じさえしてきます。

残念ですが、あなたは”事故”に遭われたのです。
そしてそれを救えるのは他の精神科医(とは限りませんが)であって
、今の主治医では決してないのです。
なんとしても、ここから抜け出なければなりません。

この関係を解消するのはなかなか容易なことではありませんが、
こんな悩みを抱えた方たちも少なからずいることは事実。
インターネットで悩み相談している場所へ行って、
”自助グループ”に入ってみるのもいいかもしれません。
ご健闘、お祈りしています。

そして、これを読んでいる皆さんへ。
私がいうのも何ですが、このような不埒な精神科医は
そう多くありません。
しかし、不埒な精神科医は”累犯者”であることが多く、
このような”不幸な話”はなかなか後を絶ちません。
ただ、誠実に業務を遂行しようと
日夜がんばっている良心的な精神科医が大多数を占めています。
そのことを信じてほしいと思います。





熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
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『体震わす電車運転士』
こんにちは、あいち熊木クリニックの熊木です。

「あいち熊木クリニック」のご紹介

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『体震わす電車運転士』

           ~ 精神科医熊木徹夫の「臨床公開相談」(2)~
           

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Q:私は43歳の電車運転士です。

運転士になるのは子供の頃からの夢でした。
無遅刻無欠勤でこれまで続けて参りました。

この仕事では、駅や鉄橋など目印になるものを、
予定時刻きっかりに通過することが義務づけられてり、
大変なストレスと毎日隣り合わせです。

ある日、ふとした不注意から、
駅のプラットホームを1m行過ぎてしまいました。
上司からは厳しく叱責され始末書を書かされました。

それ以来、駅に到着するたびに手足が小刻みに震えるようになり、
どうにも止められません。
どうしたらいいでしょうか。


A:今のお仕事、楽しめていますか。

もし楽しめていないとしたら、いつの頃からそうなってしまったのでしょうか。
昔、運転士になるのを夢みていた頃のことを思いおこしてみてください。

この仕事、そもそも几帳面なあなたにとても向いた職業だとは思いますが、
皮肉なことに、この仕事自体があなたのその几帳面さに拍車をかけ、
毎日の生活を苦しめる結果になってしまっているようです。

手の震えは、電車をそして自分を制御しようとして、
過剰に神経質になるあまり起こってきているものでしょう。

しかし自分の人生のすべてをうまく制御できる人なんていません。

考えてみれば、毎日毎日当たり前のように運転におけるあらゆる事柄を
キチンと制御し尽くしている電車運転士は、驚異的な人々だといえます。
それを誇りに思っていい。
そして少し「荷下ろし」を考えなくては。

例えば、仕事に遊び感覚を取り入れてみたいものです。

電車運転のシミュレーション・ゲームで「電車でGO!」というのがあります。
もちろん実際の運転とは大きく違うのでしょうが、
それでも昔電車好きの少年が憧れた“夢の運転席が”
とてもうまく再現されています。
ついこのゲームにはまってしまう大人も多いと聞きます。
この遊び心を日常の業務に取り入れてみませんか。

責任の伴わないゲームなんかと一緒にするな、と叱られるかもしれませんが
、しかめつらしく運転していても
あまりいいことはないのではないでしょうか。
具体的には、何かがうまくいったら、
あらかじめ設定しておいたプラスポイントをカウントする。
なるべくマイナスポイントは数えない。
人生、プラスの足し算でゆきましょう。

そんな遊び心を発揮できないほど、意気消沈しているのなら、
精神科のクリニックに訪れてみるといいでしょう。

例えば、フルボキサミンという薬はもともと抗うつ薬なのですが、
こういった“こだわり”をほどくのに絶大な効果を発揮します。

また最近は、認知行動療法をやる医師もいます。
これは、患者さんがもつ特有の性向に患者さん自らが気づけるようにし、
うまく苦しまずに暮らしてゆけるように、
楽な行動パターンを習慣づけるよう訓練したりするものです。

(ちなみに病名は、「強迫(こだわり、のことです)神経症」
あるいは「強迫性障害」になるかと思います)

がんばりすぎず生きてゆかれるよう、期待していますよ。




熊木徹夫(あいち熊木クリニック<精神科医・漢方医>)
あいち熊木クリニックのサイト:http://www.dr-kumaki.org/
臨床感覚の広場のサイト:http://www.dr-kumaki.com/




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